サラさんの目覚めのストーリー

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コラム
おはようございます*^^*

昨夜深い幸せが湧いてきて、逆に眠れませんでした。

この世の仕組みのようなものが少しずつ明らかになるような・・・

”理解が起きる・・・・”

そのような感覚です。


サラさんの目覚めのストーリー

”サラさんはいないよ”

”貴方、人の視点は蟻と同じ。”

ご縁ある存在にそう伝えられたこと

からはじまり、その時は強く”自分”というものを掴んでいましたし、

衝撃でした。

頭でいくら考えても解らず・・・

”迷うな、感じろ”

ただそれだけでした。

小さなころから、この私という感覚は

死んだらどこにいくの?と考え続けるようなこどもでしたので

衝撃でしたが、その中に何か大切なことがあると感じたのでした。

そのころから、見える物の中にヒントが現れるようになり

少しずつ知識が深まりました。

大きな体感は

以前書きましたが、

とてつもない静かな中で

ただ体の動きがあり、

私はどうこうのあれやこれやの思考が

ものすごく儚げに、浮き上がっていただけだったという

体感と理解が起きてきたこと。

もう一つは

また別の時、その静けさの中で

幸せのような感覚がど~んとやってきて

この見えるものだけが、明らかにそれだけだったのだと

気付きが起きたこと。

その両方に今までなじみのある私はいませんでした。

その現れから、日常向き合うようになり

スピリチュアルや見えない世界ということではなく

事実、この動きの中に私はいないし

私がしていることはないのだということが観えてくるのでした。

私たちの土台が

安らぎや幸せと表現されるような静けさだったのです。


今は本当に特別な何かがあるわけではないのですが、

何気ない日常が有難い・・・

娘とのひとときが今は充分で幸せ・・・・

そう感じていて、外に気が向かわないような感覚です。

でもまた、娘に執着しているということでなく

今現れている、このひとときを味わっているというような

感じです。

日常、娘と共にいることで

こうしたほうがいいのに・・・など言いそうになるということも

今までと変わらず起きてきます。

それに不安なども起きることは変わらずあります。

でも、それよりも起きてきた事実

その動きと共にあるので

それに対して、ここから現れてきたことは

儚く消えていくものとして

その土台の静かな安らぎが消されないのです。


以前目覚めというものは

スピリチュアルな世界の中で

何をしていても不安にならず、わくわくしていることのように

思い込んでいましたが

そしてその中に答えはあると探していました。

実はそれを感じるというか

それをしている(探してる)自分が居なかったのだという気づきが

目覚めの一歩だったのだなあと感じています。

でもスピリチュアルな世界にはまったことも

私の中では、尊い一つの経験でした。

それなくしてこれは感じられることはなかった・・・

それも気づきのきっかけ

宝物。


今では、教えられてきた全ての概念が

とても儚いもののように感じています。


幸せはここに在る

上辺で何が起こっていても

変わらずここに在る・・・

それも皆の土台として・・・・


















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