日本の裏の南米の旅②

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日本の東京の大学生だったある日
"自分が立ってるこの日本の真裏にも人が住んでいる"
という当たり前にすごく違和感を感じる様になった。

地球は円になっていて重力が働いてるから
自分と地球の反対側の南米にも人がいて
勉強したり働いたりしても違和感はないのだけど
それがなぜか違和感として可笑しかった。

だからその日に航空券を買って、3日後には南米にいた。

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南米初の街は、エクアドルのキト。
2~3日の滞在でその土地を語るのはあまりにも表面的だけど
スペイン語圏も初めてだったから、第一印象も強烈だった。

ラテンの雰囲気だけど街も重く、たまたま見た絵画の展示も黒く重かった。
エンパナーダという餃子を揚げたような食べ物も重く、人も重かった。

旅はどんなに沢山の国や街を訪れようが、その人の感性によっては
全く吸収できないこともある。言語が分かるかというよりは感性かな。

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早々と出たエクアドルからペルーに入って、色々と雰囲気が変わった。

天気や人が明るくなった。食べ物が新鮮になり、インカコーラが出てきた。
エクアドルの時点では南米での食事が不安だったのだけれども
ペルーに来てからは毎日セビッチェを食べたり、日系の移民も多いことから
食事に関する不安は全く解消された。上の写真のトルヒーヨという街は
地方都市の緩やかさと文化を感じられる明るい元気な街だった。
南米は、街の余白でいかに人が自由に踊ってくるかという視点を得られた。

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首都のリマは天ぷらが美味しかった。その当時20歳だっただろうか。
南米はほんの2~3ヶ月の滞在だったが、日本食が恋しくなったりもした。
しかし南米の魚介類の天ぷらは日本のものとは全く異なる感じで良かった。

上の写真の様な街の中心部(セントロ)やミラフローレスという高級住宅街と
後に触れる空港付近は全く異なるコントラストがあって、それは都市だった。

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リマが東京だとしたら、クスコは京都だと言われる。
それはインカ帝国という古い国の様子が今も残っている所以だ。
マチュピチュの玄関口の街ではあるが、この街に行くのは大変だった。

リマからクスコへはアンデス山脈という南米1の山系を超える。
飛行機にすれば1時間しかかからないこの距離もバスでは24時間かかる。
そして自分が乗ったバスはアンデス山脈で故障して、、

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結局50時間かかった。
いつになるかわからないバスの復旧中もむしろそれ以前からも
ずっとバスの中で鳴り響くクンビア(民族音楽)。。

お陰様でその後15年もスペイン語の音楽といえばペルーのクンビアとなり
今の自分のスペイン語の勉強教材となっている。分からないものだ。

そしてその50時間のバス移動は他にも影響を及ぼすことになる。
アート作品のアイディアとして。これはまた改めて書こう。

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マチュピチュは"映え"がもたらした観光の様に感じた。
ある種、この写真を自分の目で見るための行為というか。

インカ帝国の最後の要塞は今となっては外国人に全く意味をなさないだろう。
ただ秘境のこの光景は目を惹くものがあり、それが掻き立てるだけだ。

クスコからも電車があるので秘境へは快適に辿り着ける。
学生バックパッカーの自分はやはりトレッキングをしたので
その秘境を街から深めて行き、この光景に着いた際は感動だった。

感動とは何だろう。
富士山にヘリコプターで行っても感動はするが、やはり
足で登って得る行為に既に感動は含まれている気がする。
断食の空腹後のおにぎりが最高に美味しい様に
単に"おあずけ"して欲望を満たすことを焦(じ)らしているのではなく
断食中に味覚や感覚が鋭敏になって、その次の食事をいただく際には
その繊細な感覚で新たに享受できるようになっているのだ。
伊勢代参のように、お伊勢参りはもはや自分が行かなくても
感動はひとしおだったであろう。

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クスコを後にして、次の町は湖の街プーノ。
この街はボリビアとの国境にあって駆け足になったが
クイという食用のネズミを食べたのが印象的だった。

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ボリビアの首都ラパスは標高3640mにあって、富士山が3776mだから
ほぼ富士山の山頂にある都市と言っていい。それも街は盆地となっていて
上に先住民などの低所得者層が住んでいるのだが、泥棒市などもあって
プロレスもやってたりするから見栄えが凄い。日本の昭和的な娯楽かも。

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ボリビアの食事は、鶏をオーブンで焼いたものにポテトのみだった記憶だ。
先住民族が50%を超える人口の国は古い民族音楽が今もなお流れていて
それぞれの土地や歴史と繋がっている印象を受けた。

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ポトシという銀山の街も雰囲気が良かった。
19世紀には既に枯渇したこの銀山の街は
特に過去に生きている様に見えた。

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ボリビアはこのウユニ塩湖に行かないと終われない。

鏡の世界だった。

人工物や自然のものなどあらゆる"もの"が排除された世界。
ただ空と空が映る水面がある。神秘的な感覚だった。

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ボリビアからペルーに戻り、アンデス山脈を降りたところは
ナスカの地上絵があるアレキパ。地球の歩き方に"美食の街"と見て
色々食べたがどれも美味しかった気がする。(店が良かっただけかもだけど)

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パパ・ア・ラ・ワンカイーナ:
ジャガイモにチーズをかけるだけなのにこんなにも美味しいのか

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チュぺ・デ・カマローネス:
エビのスープもこんなに美味しいのかと。特にボリビアの後だと。

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飛行機に乗るために帰ってきたリマ(ペルー)はまた違う風景だった。
既に南米の街が教会やセントロを中心に作られていることや
何より約3ヶ月食事を摂り続けたことで身体が土地を知っている感覚だった。

地球の裏側にその人たちはいて、彼らは何を楽しみに生きているのか
どんな仕事をして食事を食べどんな信仰をもって生きているのか
なんとなく分かった気がした。それだけで十分だった。

最後は確かお金がなくて
セントロ近くの宿から空港まで歩いて行った。
宿の人にも危ないからやめろと言われたけど
その地区に入った瞬間おびただしいほどの血が流れていて
血や糞尿やゴミなどが混ざって、チーズバーガーの匂いがした。
それが南米最後に吸収したエキスとなった。
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