最愛の人の裏切り

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こんばんは~~~taka3です。 
僕の住む地域では、昨日の気温が二桁(観測史上最高気温)でして、
冬のイベントが中止になるくらい温かい一日でした。

一気に春になったような陽気でしたね~。

今日のブログは、最愛の妻であり娘の母親である彼女との
別れの話をさせて頂きますね。

娘も順調に育ち、1歳半を過ぎた頃・・・奥さんが急に働きたいと
言い始めました。 僕の考えでは、娘が3歳になるまで待って欲しいと
伝えたのですが、本人がどうしても働きたい!との強い希望で、
僕としては、娘の事を考え何とか家に居て欲しかったのですが・・・。

僕の仕事は、工場勤務で夜勤もある今の仕事をしていたので、
奥さんが外で働かなくてもいい経済状況でもありました。 

が、奥さんの考えを尊重し外で働くために車を購入(中古の軽自動車)
したのですが、その代金と娘の貯金を今よりも多めにすることを
約束してもらい、許可したのでした。

ある日、娘の為の貯金は?との問いに、奥さんは貯金をしていない・・・と。
えっ?! 約束が違う!!と奥さんを問い詰めてしまいました。
彼女というと、外で働き始め自分の洋服やら小物やらを買っていたのを
知っていたので。  それについては、僕は何も詮索も問いただすことも
ありませんでしたが、娘の貯金については話は別!!

何のために働きだしたの?!ってな感じでした。
もちろん、奥さんも自分の欲しいものもあるでしょう・・・分かります。
ですが、母親なんだから子供の事が優先じゃないかい?!と僕は思ってました。 

喧嘩も増え、時には彼女は無断で外泊をするようになってしまいました。
僕はというと、夜勤もある仕事なので、夜に仕事へ向かう時は心配しながら
仕事へと行く日々。

そんなある日、大げんかの末に彼女は娘を連れ実家へと帰ってしまいました。
実家にいるお父さんと電話で話すと「あまり娘を責めないで欲しい」
「しばらくして、落ち着いたら帰すから」と。

一週間くらい経ってから、彼女と娘は帰ってきたのですが、何か様子がおかしい。 前にもまして、口も聞かないし返事もそっけない。

家にいても、態度が明らかにおかしかったです。 僕というと、
「強く言い過ぎてしまったのかなぁ」
「子育てでストレスが溜まってしまい、イライラしてるのかなぁ」
なんて、思っていました。

そんな状態で、またも大ゲンカ勃発!! 僕は娘を連れ、近くにある
僕の実家へと避難。  

その日の夜、娘が熱を出してしまったので彼女に電話。
その当時は、やっとPHSから携帯へと変わった時代だったので、
彼女の携帯に電話をしました。 何度も電話したのですが、
なかなか電話に出ず・・・。 やっとのことで繋がるも
カラオケ店にいるような感じでした。 
「○○○ちゃんが熱を出してるから、すぐに帰ってきてほしい」と
伝えても、結局彼女は帰宅しませんでした。 

次の日、娘を連れて彼女の実家へ
彼女の父親は、「子供が熱を出しているのに、帰ってこない娘は母親失格だ」とまで言っていました。 本当なら預けたくなかったのですが、
僕の母親から、「母親なんだから、預けなさい」「母親としての自覚を持たせなさい」との事で泣きながら娘を相手に預けた記憶があります。

それから別居生活が始まったのでした。 その当時、娘は保育所に通っていて、僕も送り迎えをしていたのですが、別居してから会いたくても
会わないようにしていました。 僕自身も、自分の実家に身を寄せ
胸が痛くなったり、眠れない毎日を過ごしていました。

地元にある心療内科にも通うことになり、睡眠導入剤【眠剤)を処方されたのですが、薬を飲んでも全く眠ることが出来なかったのを覚えています。
自分を責めたり、相手を責めたり。どうしてこんな風になってしまったのか?!と自問自答の日々。

別居したのが、春を過ぎた頃で季節は夏から秋へ
肌寒くなってきたある日、奥さんから一緒に住んでいた団地に娘と二人で
戻りたい。との連絡がきたので、快く承諾。 

家の鍵を持っていたので、彼女が働いている時間帯にコッソリと中の様子を
伺いに何度か行ってました。 家の中は、荒れ放題の状態。 
やり直す話が出る訳でもなく、日にちだけが過ぎていったのでした。

季節が秋から冬へと変わり始めたある日、いつも通り家の様子を見に行き、
帰ろうと車に乗った時に、「あ、あそこ見てないなぁ~」ってふと思い、
彼女のリックサックの中を見てみると・・・・。

そこには、僕にとって衝撃的過ぎるくらいの手紙があったのでした。
その手紙は、男の人からの手紙で「旦那と仲よくやっているのに、こんなことをしていていいのかな?」「○○○ちゃんの父親になれるかな?!」
「今度いつ会えるかな?」 おせいじにも綺麗な文字でなく、ただただ
ショックでした。 信じていた人の裏切り。。。 愛している人への失望・・。 生きる気力を失うほどの衝撃と悲しみ。 

あの時の事を思い出すと、今でも胸が苦しいし、痛いですね。
会いたくって、会いたくって、娘が通っている保育所の前を
車で通るたびに、自然と涙があふれてました。 

今でも、この胸の中にその時の辛さ、悲しさ、苦しさが残っています。
人は忘れる生き物であり、忘れなければ生きてはいけないもの。

時が少しずつ、少しずつ、心を癒してくれたのですが、僕の一生の中で
忘れることが出来ない経験をしました。  

どうしても許すことが出来なかった・・・。 例え、その時許したとしても
僕は彼女を責め続けたと思います。 それほど、彼女を愛していたから。

人を好きになり、愛することの素晴らしさを教えてくれた人・・・。
辛く、悲しい別れを選ぶ事になるのですが、僕自身に後悔はありません。
女性の親友にも、「もう一度生れ変わったのなら、また彼女に出会い恋をして、娘を産んでもらいたい」「同じ運命になったとしても、また彼女に会いたい」と言いました。 親友である彼女は、「他の人と出会い、○○○ちゃんを
産んでもらえば良いでしょ!!」と言われますが、僕にはそんな考えはありません。 綺麗ごとと思われたり、言われたりするかもしれませんが、
僕の本心です。

今日もここまで、僕の取り留めないブログを読んで頂きまして
本当にありがとうございました。 この続きは、次のブログで・・・。
ここで出会い、読んで頂いたご縁に感謝!! 
いつも、いつも、ありがとうございます。 

では、また~~~taka3でした。

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