私の土台:生物学

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コラム
私の考え方の土台、生物学。

私は、高校生から大学院まで、ずっと生物学を学んできた。

もちろん他のいろんな経験や考え方にも影響されているけど、これが広く土台になっているのは間違いない。

私が生物学にはまったのは、高校の生物の授業。
生物の進化における「自然淘汰」の概念を知った時から。

それまで「進化」って、ピカチュウがライチュウになるみたいに、う~~~ん.......パ!!!って進化すると思ってた笑。
キリンは、「首を伸ばしたいよ~~」ってキリンが思って自分で伸ばしたと思ってた。

でも実際はそうではなくて、自然淘汰によって進化してた。
例えばキリンで言うと、
まだ首の長くなかったキリンの祖先の中に、たまたま突然変異で首の長い個体が生まれて、しばらくはごちゃ混ぜのまま生活できてたけど、何らかの理由で上の方の葉っぱを食べられる個体がより生存に有利な環境になって、首の長い個体だけが生き残れた。
そうすると生き残った個体はほとんど首の長い個体だから、結果的の首が長いという特徴はその種全体のものになる。

これを繰り返していって、キリンの種はあんなに長い首を獲得した。
これが自然淘汰、進化の実際。

当時の私にとってはまじで目からウロコだった、、、!


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これを知った日のお風呂は今でも覚えてる。

湯舟で自分の体を眺めながら、
じゃあ、私の手の指が4本でもなく6本でもなく5本なのも、
その中でも親指だけがちょっと離れているのも、
眉毛がここにあるのも、
暑いときは汗をかいて寒いときには震えるのも、
全部全部の特徴にあの過程があったということか、、、、、?

それって、信じられないくらい莫大な時間がかかってるじゃん、、、、、


そう思った瞬間、私の頭の中で宇宙が爆発して、ピューーーーっと宇宙に放り出されて地球が小さくなっていって、
途方もない時の流れに押し潰されそうになった。

え、てことは、私のこの体には、地球46億年の歴史が詰まっているってことじゃん、、、!

私のこの体がつくられるのに、途方もない時間がかかっている、、、
私の体は、地球の歴史そのものなんだ。そう思った。

静かだけど物凄く巨大な力にぶっ飛ばされるような衝撃だった。





それから、生き物に対する見方が変わった。

なんでこんな形をしているんだろう。この形質を獲得した背景はどんな環境だったんだろう。

特にワクワクするのは、これらの特徴は誰かが頭で考えたのではなく、
莫大な時間をかけて淘汰されてきたものだから、ものすごく理に適っていること。(だって理に適わないものは淘汰されていくからね!)

突き詰めて考えれば考えるほど答えがある。人間の人知を超えたところに答えがある。ロマンでしかない。それをあれこれ考えるのが本当に楽しかった。
(たまに、理由がなく残っている形質、つまり良い影響も悪い影響も及ぼさないから残っている形質もあった(=中立説)。それもまた面白い。)


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この考え方が自分の中で定着してくると、だんだんとこの考え方を適用する範囲が拡大してきた。

人間がつくり出す時代の流れについて。
人間(ホモ・サピエンス)は自ら未来を作っていると思っているけど、進化の視点に立てば、実は全て必然の流れなんじゃないか。

自分自身に対する自己嫌悪という感情について。
個人レベルではしんどい感情だけど、進化の視点に立てば必要な感情なんじゃないか。とか。


色んなことについて、究極的に客観的に考えるようになった。

私の頭の中には、いつしかその考え方がもう染み付いている。

私はこの考え方が好きだし、この考え方によって助けられたり前に進めた場面がたくさんあったように思う。
(でも、、、宇宙レベルの客観性で考えつつも、やっぱり一人の人間としての欲や感情からは抜け切れない。そんな狭間に私はいます。これが私の魅力だと思ってる!!笑)


良いのか悪いのか分からないけど、これが私の考え方の土台。

高校生の時のあの感動を伝えてみたいのもちょっとあって、記録してみました。



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