衝撃の日⑤

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おはようございます。
癒し処☘みさでございます。
今日も昨日の記事の続きをお話しします。

昨日の記事はこちらです。
https://coconala.com/mypage/blogs/edit/419434k

11月も後半に近づくと、私は「いつ保釈になるんだろうか?」と
すごく不安になっていました。
弁護士さんの接見を11月の20日過ぎたころに担当官に頼みましたが
弁護士さんの接見自体もお願いしてから5日くらい経ってやっと来て下さいました。
その待っている間と言ったらものすごく長く感じ、
私はすごく不安を抱いておりました。

やっと「75番!弁護士先生来られたから。」と呼ばれ、接見の日が!
面会室に行くと先生は「遅くなってごめんなさいね~」と言われ、
「今ね、ご主人保釈金の段取りで一生懸命動かれてます。」
ということを言われました。

私は夫に申し訳ない気持ちになるとともに、やっとここを出られるという
希望に満ち溢れた気持ちになりました。

それから約3日後、いつも通り昼食を済ませてくつろいでいますと、
担当官が私の洗面用具を片付け始めました。
同室の方がひそひそ声で「ねえ!片付けてるから保釈決まったんじゃない?」
と話しかけてくださいました。

いや、でも夫はちゃんと保釈金を用意できたんだろうか?
もしかしたら拘置所に移送じゃないだろうか?と一抹の不安もありました。

13時・・・14時・・・15時と読書をしていましたが、
なかなか呼ばれることなく、ただ重たい時間がゆっくりゆっくりと
過ぎていました。

(おかしいな、そろそろ晩御飯じゃん・・・)
檻から見える洗面台上の時計は16時半を過ぎようとしていました。

私は膝を抱え体育座りをして、座っていました。

そうするとまた同室の方が
「遅いよね。もう晩御飯になるのに・・・」
と言われて、私はどうしたんだろうとものすごく不安になっていました。

そんな時
「75番!出るよ」と担当官が声をかけてきて、私は手錠なしで下へ連れていかれ、収監された日に身体検査や持ち物を預けた部屋に入りました。
そうしたら私の持ち物がずらりと並べられており担当官のひとりが
「・・・何でここに連れて来られたか分かるな?家帰ってください。」
と言いました。
(ああ・・・今日帰れるんだ?)
私はホッと胸を撫でおろし、心の中で感謝の気持ちで手を合わせました。

(拘置所でなく家に帰れるんだ)

連行された日は11月にしては暖かく、私は薄いワンピース1枚でした。
しかし担当官の話では風が吹いていて気温も低く、今日はとても寒いから
とのことだったのでワンピースの上に差し入れしてもらったトレーナーを
着て不格好だけどサンダルに靴下を履いて帰宅することにしました。

担当官は「もうここに来たらいけんよ」と送り出してくれ、私は軽くお辞儀をして県警本部を後にしました。

所持金2万少々あったのでタクシーをコンビニで呼んでもらおうかと思ったが駅まで行ってバスで帰ることにしました。

寄ったコンビニで私は煙草と缶チューハイを1本買い、久しぶりのお酒と煙草に寛ぎを感じて夜空をぼんやり眺めていた。


夫に電話をしたい・・・電話しなきゃと思いましたが、コンビニには公衆電話というものがありませんでした。
時代ですよね。
携帯がないことがこんなに不便なのかと思い、私は駅へ向かっていきました。
駅も公衆電話は見当たらず(どこかにはあるんだろうけど)、探すより早くまっすぐ帰ったほうがいいと思い、バスに飛び乗りました。

私は途中でバスを降りて連行された警察署に寄りました。
しかし担当の刑事さんはすでに帰宅しており、私は警察署から20分歩いて家まで帰りました。

マンション外には夫と母が待ってくれていました。
母は目に涙をいっぱい溜めており、私は
「心配かけてごめんね」と母をぎゅっと抱きしめました。

話を聞くと、夫が弁護士さんから今日保釈になるという連絡を受けたのが
15時頃で17時くらいには帰ってくるだろうと思っていたら私がなかなか帰ってこないので心配していたそうです。
もう19時くらいになってましたからね。

ゴミ屋敷化していた我が家は夫と息子が綺麗に片付けてくれていてすっきりしていました。

22日ぶりに我が家へ帰ってきた私は、お風呂に入りゆっくり過ごしました。


話を聞くと保釈金のために動いてくれていたのは夫だけでなく、息子も弁護士さんに書類などを届けに行ったりと動いてくれていました。
家族は宝です。
家族は大切にしていかないと、と私は改めて誓ったのでした。





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