時の住人 白い鳥

記事
学び
忘れられない人を
また、ご紹介させていただきます。
いつも、穏やかな笑顔の人でした。
上品な物腰で、誰にも穏やかに接していた人でした。




晩秋の陽が差し込む窓の日差しを浴びて
その人は決められた自分のテーブルに居る。
「目が悪くなったので、窓の外が見えないのよ」と言った。

歌が好きだった。
カラオケが大好きだった。
歌っていると楽しいと言った。
元気だったころは家族とカラオケを楽しんだと言う。

古い歌を教えてくれる、歌のお師匠さん。

いつの間にか歩くのが、おぼつかなくなり
車いすを使うようになった。

でも歌は好き。
音楽は好き。

周りを理解できず、険しい顔になった。
できていたことが出来なくなった。
耳が遠くなり、会話に入れなくなった。
眼が悪くなり、良く見えなくなった。

家族が面会に来ても、喜ばなくなった。
文句を言うようになった。

それでも 
毎日「今日は息子が、まだ来ない」
と、心配そうな親の顔で話す。

まだ、来ない

来ない

帰ってこない

来ない

帰ってこない

帰ってこない

「息子が帰ってこない」
自宅ではない事、施設に居ることを理解できなくなった。

「ご飯は食べているのかしら?」
「何で帰らないの?」
「帰りが遅い!」と怒り出す。

車いすを進めながら、息子の名を呼ぶ。
「こういち こういち」

息子はどこにいるの?と聞かれた職員が答える。
「外は明るいでしょ?こういちさん、まだ、仕事が終わっていないんだよ」
それを聞いて安心する。

そして、また「こういち」「こういち」

「まだ、仕事は終わってないんだよ」
「元気に仕事しているかしら」
「忙しいから、こういちさん、帰りは夜中かな?」
「夜中だと、私、眠っちゃっているわね」
「そうだね。でもちゃんと寝ないと、こういちさんが悲しむよ」
「ちゃんと寝るわ。こういち、体を壊さなければ良いわね…」
「分かった、無理しないように会った時に伝えるね」
そう言われて安心する

繰り返される毎日

家族が面会に来た。
面会に来ても、家族だと分かる事が少なくなった。

そして、孫を可愛がり、孫も大好きだったおばあちゃんは
孫を見ても分からず、家族の脇をすり抜けて、自分の席に向かう。

家族が挨拶をしても
「こんにちは。お会いしたことはありましたっけ?
 覚えてなくてごめんなさい」と挨拶を返した。

自走式
車いすで移動できなくなった。

歌が好き。
もう、声も小さくなり、歌えない。

それでも、知っているメロディーが聞こえてくると
口を開く。声の無い歌を歌う。


時々、心がこの世界に戻ってくる。

晩秋の陽が、差し込む窓の日差しを浴びて
その人は決められた自分のテーブルに居る。

「目が悪くなったので、窓の外が見えないのよ」と言った。

「窓の外、今は何が見えているの?」
見えているもの
青い空と、葉が落ちた梢。秋の優しい光、山並み。

日差しの中にいるその人の好きな歌を
ヴァイオリンで弾いてみる。
その音は聞こえる。
聞こえて、声のない歌を歌う。

エレベーターが開き、ご家族が来ていた。

来たことも分からず
ヴァイオリンの曲に合わせて
声の無い歌を歌う。以前のように微笑みながら。

「他には、何が見えるの?」
「他には、澄んだ青空を白い鳥が3羽飛んでいますよ、丁度、今」
「奇麗ね。青い空に白い鳥…」
眼差しを向けても、見えない景色を
心で見ている。

そして、微笑みながら、また歌った。

少し離れてお孫さんと息子さん夫婦が
笑顔を見ていた。




終わる。

残された荷物を取りにご家族が来た。

つい先日の歌う姿。
微笑みながら歌う姿は
ご家族にとって、
この1年、見たことのない笑顔だったと聞いた。

主任から
「息子さんからね、あの笑顔を見た時、涙が出たって。
昔の母が居た。
母が、ここで過ごせて良かったって言われたの。
そんな言葉を頂いて
私たちが、幸せを貰っているんじゃない?」

そうかもしれない。

そうなんだ。
きっと、そうなんだ。


何年も経った

時々、ゆったりと飛んでいく白鷺を見る。

今日も、青い空を飛んで行く白鷺を見る。

眼で追いながら
あの人が居たな

白鷺を見る度に、あの時間が甦る。



あの人も
忘れられない時の住人になっている。








※内容の無断転載や、流用は固く禁じます。本内容は筆者に帰属します。

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