システムではない「人」

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コラム
おそらく、人はその行動において、システムに陥ってはうまく生きられないような気がする。秩序だった行動の優先によって、心が錆びついてしまうのではないだろうか。

たしかに、人はなんらかの組織の中で生きているのではあろうが、組織の中に身を置くことと、組織の中で行動することは違うのだろう。

家族という組織めいたものの中で、人は生きているが、親子、両者ともども自由はある。自由があるという点において、人の行動はシステムではない。家族という組織の中に身を置いてはいるが、その行動には自由があり、秩序立ってはいないのだろう。

そのとき、そのとき、その状況に応じて臨機応変に行動しなければ、うまく生きられないのではないだろうか。こうなれば、こうしよう、こうすれば、こうなるだろうと、そういうことばかり考えて行動していたら、生きているとは言いがたいと思う。人が生きるということに対して、機械的世界観は通用しないのだろう。

スポーツなどでも組織プレーは大切だが、組織プレーよりもまず、個人の自由意志のほうが先にくるのではないだろうか。プレーの型が先にあるのではなく、自由意志がプレーの型を作り出していくのだと思う。

ある悩みに対して、その悩みを解消する万全な型というものは、存在しないだろう。悩みというものも、そのとき、そのときで千差万別である。生きていて、同じに思えるような悩みはあっても、厳密には同じ悩みはないだろうと思う。一回限りの悩みに対して、そのとき、そのときに、懸命に解決していこうという姿勢が大切だということだろう。

型にはまって、秩序だった行動に陥ってしまったら、心は錆びついてしまって、生きがたくなってしまうのだろう。みずみずしい心を保って、そのとき、そのときの自由意志の判断、行動から、人生を形作っていけたらいいと思う。
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