なんのために生きているのか 2

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コラム
前回、注意付き独善性のことについて書いたが、これはあくまでも、個人の生き方の知恵としてのものである。他人に自分の独善性を押し付けるのは、もちろんよくないし、してはいけないことだろう。

ぼくが一番、言いたかったことは、好きな歌は自分で決められるということである。自分の好きな歌は自分で選び取って、コレクションに加えていく。それと同じように、生きるということも、その価値観を自分で選び取って、生きていくということである。

独善性をもとに生きていくからといって、自分の影響力をまわりに及ぼそうとかいうことではない。あくまでも、自分個人がいかに納得のいく人生を送れるかということである。たしかに、自分一人で生きているわけではないから、完全に納得できる人生というものはあり得ないだろうが。

しかし、反省すべき点は、独善性だけで生きるのではなく、他者の価値観も認めて、そこから、いかに、学ぶべき点をも見出すかということだろう。自分に閉じこもってしまっては、いくら、注意付き独善性とはいっても、自ら、自分の身を滅ぼしてしまうだけかもしれない。まわりに開かれた心も大切にしなければならないのだろう。

なんのために生きているのかわからなくなってしまうこともある。何かがおかしいからだろうか。まわりの状況がおかしかったり、自分の心の態度がおかしかったりするからかもしれない。だから、そういうおかしさに気づく視点をもつことができるかが、大切なのだろう。おかしさに気づく心がなければ、何にもわからないままに、人生、悪いほうに傾いていくままに終わってしまうかもしれない。自分でよく考えて生きることが大切だとよく言われるが、その通りだろう。そういうことを、独善性ということを通して、ぼくは言いたかったのだ。
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