なんのために生きているのか

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なんのために生きているのかが、わからなくなるときもある。

そういうときは何か、心の態度が間違っているのだろうか。

楽をしようとする気持ちが、心を退廃させて、生きる意味を失ってしまうのかもしれない。つまり、主体的に生きようとしているのではなく、受け身になってしまっているからだろう。

他人から何かをしてもらおうとかして、自分で自分の人生を生きていないからかもしれない。自分で生きている意味を、自分の価値観に基づいて、自分に与えていけばいいのだろう。

自分の喜びは、他人が共感してくれたとしても、基本的には自分にしかわからない。同じように、生きている充実感も自分にしかわからないものなのだろう。そういった意味では、独善的になり過ぎてはよくないだろうが、「独善性」ということにもいい意味を見出せるのかもしれない。生き方は人それぞれだろうし、絶対的に正しい生き方というものもないだろう。たしかに、自己中心的になったり、傍若無人になったりしてはよくないが。

独善性ということも、単にそれだけではダメで、まわりを見る目とともに、そこから得られたものを、どれだけまわりに還元していくことができるかが、大切なのかもしれない。そこが、このような、注意付き「独善性」がいいものになるか、ならないかの分岐点なのではないだろうか。

自分の価値観から得た、自分の生きるエネルギーを、まわりに対しても使っているかどうかが、いい生き方につながっていくのかもしれない。

まわりのためにも、自分のためにも生きていければいいのだろうと思う。


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