満足を求めて

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コラム
自由、個性、労働、この三つがあれば、人はある程度は満足して生きていくことができるのではないだろうか。

人は必ずしも、完全に自由ではない。まず、仕事のために人々は生きているのだから。仕事をしなければ、人並みに生活するのにも困難がある。

だから、まず、満足を求めるならば、自分の個性に適った仕事に就くことが大切なように思う。

そのためには、完全な自由ではないが、二次的な自由が大切になる。職業選択の自由である。自分の個性に合った仕事に就ければ、人は幸せだろう。そういったものを見極める自由な視点が、満足ある生活には必要なのだと思う。

しかし、正社員になれない人も出てくる。稼げるお金も少なくなってしまう。つまり、お金に一番の満足を求めるところに不都合が生じてきてしまう。

お金は手段であって、目的ではないということだろう。しかも、お金、イコール、幸せとも限らない。

お金は少なくても、満足ある生活はできると思う。他人とのコミュニケーションや、芸術活動である。たしかに、そういう生活は経済活動に沿っていないかもしれない。しかし、みんなが、みんなこの資本主義社会で成功して生きていけるわけでもない。病弱であれば働けないし、人付き合いの下手な人も、上手く働くことはできない。

大切なのは、どう生きるかということだと思う。だから、究極の満足とは、マラソン的満足なのかもしれない。お金は最低限、自分の生活する分と、自分のしたいことができる分が調達できればいいのだろう。

ここでも、自由、個性、労働が基本になる。たとえ、お金にならなくても、なんとか、お金を稼ごうと、自分の好きなことに、コツコツ努力して取り組めれば、つまり、自分なりに労働できれば、そこには満足もあるのではないだろうか。

たしかに、マラソンは過酷であるかもしれないが、毎日、怠けずに、真剣に人生に取り組めば、それだけ生きている価値も生じてくると思う。

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