働くということ

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この世の中は、何によって成り立っているのだろうか。経済活動によって成り立っているのだから、お金によって成り立っているのだろう。お金の動きによって社会は活性化されるのだろうと思う。人々の行動において、お金を稼いだり、お金を使ったりすることによって、この社会は活発になり、人々は不自由なく、便利に、楽しんで生きていくことができる。この社会は、経済社会だろう。

その中心、根底は、労働なのだろうと思う。働かなければ、生活に必要なことやものは、何も生じないのだから。経済社会というのは、お金の動きが大切なのだろうが、それは労働が大切ということだろう。だから、お金というのは、経済社会においては二次的なものに過ぎないのではないだろうか。

経済社会において、人はなんのために生きているのだろうかと考えると、それはお金のためというよりも、労働ためということが言えよう。つまり、お金を稼ぐために働くというのはどこか、歪んでいるとも言える。

お金に食われてしまう人生は、このような誤謬から生じてくるように思われる。お金が餌になったモルモットになってしまっては、人生、何のために生きているのかはわからなくなってしまう。うつ病や過労死の問題なども、そういうところから生じてくるのではないだろうか。

この経済社会においては、お金のために働くのではなく、労働のために働くのが大切である。純粋に働くとはどういうことかを、よく考える必要が出てくる。

この世の中は、経済によって、人という存在が置き去りにされているかのようである。経済の一人歩きによって、人という存在価値が縮小されてしまっていると思う。旅行に行くというのもバスツアーで行くのがいいのか、それとも、友人たちと行くのがいいのかという問題もあろう。経済に孤立されてしまっているかのような現代人は、家族旅行こそあるかもしれないが、なかなか、個人や友人たちとで旅をするということもないのかもしれない。現代人というのは、経済という枠組みの中でしか生きざるを得ないのだろうか。

人助けなどの利他的精神は、経済社会のどこに入り込む余地があるのだろうか。アルバイトをしていて、「慈善事業じゃないんだから」、と言われたこともあったが、それは、いったい何を意味していたのだろうか。

経済の枠組みの外に出られなくなってしまっては、自然保護や、自然エネルギーなどの問題も、どんどん遅れてしまうのではないかとも思う。

では、どうすればいいのか。お金のために働くのではなくて、もう少し、生きるということを見据えて働ければいいのではないか。労働ということが、お金に向くか、それとも人生に向くかということでもあろう。

生きるということに、純粋に向き合えるところから生じてくる労働こそ、生きている意味のある働き方ではないだろうか。

お金に振り回されてしまうところから、この世の中、どこか歪んでしまっていくようである。間違った経済社会の考え方によって、問題が見えなくなってしまっているのが、現代社会なのではないかと思う。
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