愛は大切であるが、あまり、大袈裟になっても疲れてしまうものだろうか。
自分の中で愛を思わないことには、周りも他者も愛せないだろうが、ただ、思っているだけでも愛せないだろう。
心の中に抱いている愛というものを、もっと具体的に考える必要が出てくると思う。それは、心の中の完全な愛を、不完全な個別的なものに形を変えるということでもあろう。
他者を愛するということで大切なこととはなんだろうか。それは、ともに生きようという姿勢だろう。お互いがいい道を歩んでいこうという気持ちが大切なのだろう。
正しさを主張しあっても意味はない。たしかに、正しいほうがいい道につながっていくだろうが、正しさを証明しても、実際の問題がよくならなければ意味がない。
あまり、大袈裟に愛を考えずに、そよ風が吹くように、個別的に、お互い他者を理解する気持ちを大事にして、まわりに接していけたらいい。
そういうところに愛の可能性もあると思う。