(*‘ω‘ *)自己紹介(⑤結婚、ママ生活)

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コラム
④の続きです。

 そうして20代はとてもボロボロでした。社会になんとか出つつも精神的な苦しみは大きかったですし、生活も上手にできませんでした。自分に自信がないことや不安もあり、婚活をしたり、男性と出会っていました。そして私としてもこの人ならという、愛してくれる、気が強い芯の強い男性と出会い、二十代後半に結婚しました。(いつもそういう男性が必要になってしまうのでした)

 私は二十代半ばから、子供が欲しいという気持ちになっていました。物心がついて思春期ごろから、いつも生きる動機や意味を探していましたし、生命の不思議さや、生殖活動が実を結び、引き継がれた自分の遺伝子の新しい姿を見てみたいと思っていました。結婚を決め、あらゆる物事が順調に進み、子供を得ることになりました。結婚前後や出産前までは本当に幸せで、とても安心していました。今まで得ることができなかった、やっとゆっくり眠れるような気持ちです。妊娠期後期は体のバイオリズムが変わるのでそうは行きませんでしたが。

 この時期は、私のアイデンティティには確固としたものがなかったので自分探しも続きます。それに幸福を得るための趣味などもたくさん挑戦しました。結婚生活に適応しようと思ったのがその背景です。今実際結婚中ですので色々言えないところもあるのですが、それなりに自分を我慢しなければいけないことや、夫との喧嘩などもたくさんあり、ストレス対処法を研究した感じです。
 子育てはというと、常に子供の姿や成長は素晴らしく感動的であり、子供の生活力の成長が見えてきて、もうこれで死んでも大丈夫というぐらい、今は達成感はあります、ですが育児は大変でした。
 子供の習い事、幼稚園などを通し、子の友達や、ママ友や先生と交流を深めました。私にとっても自分の最後の学校かのように、ママ友を同級生や同志のように思いますし、日々助け合いをして過ごしました。下手をしたら、今までの学校時代と比較しても最も友情を育んだ機会だったのでは、と思います。子供という、世界で一番美しい存在がいる、苦しいながらも一番美しい時だったのでは、と思います。宝石のように輝く写真が無数にあります。老後に見ようと、何度も撮りました。

 子供の幼稚園時代に新型コロナの流行が発生しました。コロナ禍の中で、外部との接触が薄く外的接触の要求が強い私、それにキャリア形成も考えていた私はチャットボランティアを始め、また心理学の道をゆっくりと進み始めます。その団体を通し、心理系の勉強の講座を受ける機会が得られました。
 また、子供が大好きになったので、保育士の資格の勉強をしたり、児童福祉への関心を深めます。保育園で働き始めたり、ベビーシッター会社への登録、チャットボランティア団体を通し、研修や講座を受ける機会が増えました。そうしていると、今後の働き方を見据え、大学を卒業し学士のままであったので、大学院で取得する心理学の資格、臨床心理学などを取ろうという意識が生まれました。今は心理学で自分で関心がある分野の民間の講座などを受けつつカウンセリングのスキルアップや収入源の新規確保、通信大学院による修士課程の単位取得や院試験対策を考えています。

 今思い返すと、東日本大震災の時、自分のことで精いっぱいで現地ボランティアに行けなかった私は、将来子供のために働きます、と誓ったこと。結婚する時に夫に、子供の福祉に関する事業をしてほしいとお願いしたこと(家庭で十分な生活の基礎知識やしつけを得られなかった子供に対する支援)、チャットボランティアの志望動機として、無力な子供の助けが目的(無能という意味ではない、子供は大人の前では無力になってしまうことが多々あるため。生活の主導権が親にあるなど)、そう言った願いがつながります。小学生の頃、帰路の青空を眺めて、自分の未来を想像し、今の自分の気持ちが届くような気がしたこと、そう言った景色が思い浮かび、今私は広げたパーツを回収して、自分の人生をまとめていきたい気持ちです。
 不出来な半生ですが、その時の全霊で生きてきたことに誇りを持ち、頭の中にある自分の未来の仕事を遂行して行きたいと思います。

ひとまず以上です(*ノωノ)
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