(*‘ω‘ *)自己紹介(④高校卒業~20代)

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コラム
③の続きです。

 無事に浪人せず大学入学を果たし、その彼氏とも続いていましたが、私が異性間をフラフラしていたため別れることになりました。その彼とは結婚したい、と言われていたし、私も、今でも最高の人物だった、と感じるので当時の私の不徳のいたすところです。 

 その後、大学で友達と出会い、相変わらず出会い系などもしていたと思います。大学の勉強はとても難しかったです。それに授業の選択をすること、授業に自発的に参加することさえ、とても困難に感じました。大学一年の終わり、私の神経はあらゆることにダメージを受け、勉強やバイトを投げ出し、不安や鬱などの、精神病的な状態になってしまい、心療内科にも通いました。その頃、母の実家の石川県の親戚の家に一か月ほどおり、浄土真宗のお寺にお話しを聞きに行ったり般若心経を読んだり、精神を安定させることを取り入れました。とりあえず工夫しまくる性格の表れです。
 親族や友人などのアドバイスにより、這う這うの体ですが、一年留年したものの5年で大学を卒業できました。レポートや卒論の提出は自力とは言えず、人の力を頼りました。

 この大学の時期は、カルチャーに目覚めた時代です。自分に似ている、心が弱くて感受性が強くてアート系な人との交流が盛んでした。楽器も弾けないのにバンドの一部になったり、その当時の彼のおじいさんの所有物だった廃工場で身内のロックフェスがあったり、自分自身の言葉、絵、写真などを作った作品なども作成し、展示もしました。あらゆるアングラ文化やアート色の強いイベント、ロック、クラブカルチャーなどに接していました。その時のクラブで、宇宙の中で世紀末を味わっている感覚は忘れられず、いつかDJをして再現したい気持ちがあります。(ちなみにDJ機材も数年前ゲットしました。時間がなくて後回しにしてます)
 その時出会った人の大半がその当時だけの友人でしたが、そういったイマジネイティブで自由な精神を持った人々との出会いは、記憶の中ですが、宝物です。堅実な大学時代の学友は今も交遊関係があります。

 卒論を終え、とっくにみんな就活を終えていましたが、私はほとんどしておらず(一般的なリクルート姿に反発を感じていました)、本が好きなので(大した読書家でもないのに)出版社を受けたりしましたが、当然のごとく通過せず、就職サポート会社のようなところを通して、印刷会社を受け、その会社の社長の温情により内定をいただいたのですが、場所が東京のはずれであり、出版社のバイトが受かったので、内定を断ってしまいました。その時、優しい社長さんが、履歴書を汚さないように、とおっしゃってくださったのですが、その後仕事を転々としてしまい、注意の通りになってしまいました。

 仕事が続かなかったのは、能力の低さもありますが、やはり精神的なものが大きかったのだと思います。大きな負荷を感じ限界がきてしまうのです。詳細は省きますが、他にも色んな挑戦の挫折を20代で経験しました。それに自分の在り方が間違っている。自分の考え方が何やら標準や成功ルートに合っていないようだ。成功している人を見習おう。という気づきや、工夫することのきっかけを得ました。ですが、一番心がボロボロだったのはこの時です。


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