感情という魔物 心に巣くう光と影

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コラム
感情は生きていく上で大事な要素。
体を動かす原動力。
そしてそこに光と影がある。

度々あがるネットリテラシー問題。
それも感情のバランスが崩れた一例だと思います。

ネットってとても便利で生活にはかかせないインフラともいえる存在。
ここ20年の間に急激に拡大して、それによって生活スタイルも大きく変わりました。
ネットのおかげで新しい概念、仕事、人間関係、サービスが生まれ、これまでの常識が塗り変わったものもあるでしょう。

それプラス世の中の考え方もどんどん変わって、昔は合法だったのが今はNGになったり、昔にはなかった価値観が次々台頭し、その結果新しい物の見方についていけなかったり、それにのっかって自分なりの勝手な解釈で自由さを掲げたりと、善し悪しが混在する世の中になってきました。

多様化すぎる概念とネットの便利さが生んだゆがみ。

現代が抱えるネット社会のゆがみは、現実世界の心のゆがみそのものではないでしょうか。

簡単に世界中の人たちとつながって、簡単に自分の思いを発信できて、簡単にバーチャル住人になれる。

ネットの世界は簡単、簡単、簡単、、、。
なんでも簡単にこれができますよ、あれもできますよ。
そんなうたい文句であちこち大手を広げている世界。

でも本来簡単にできることってそうそうないと思いませんか?

簡単さを強調して、テクノロジーの進化に合わせて効率ばかり優先。
感情は二の次。
そこに人のやりとりは不要。

機械ばかり相手にして人との関わりからどんどん離れていく。
知識と経験に対する敬意も薄れてしまった。

努力と根性の時代から、簡単洗練スマートな時代に移り変わってみた結果、
自分の心の置き場所が小さくなってしまった人もいるのではないでしょうか。

世の中もなんだか活気がない。
目にするのは画面越し。
現実のやりとりは最低限度のみ。

こんなんでどうやって心は解放されるんでしょうか。

ネット上で共感しあったり、気持ちをぶつけあって得られるものと、現実で顔をつきあわせてコミュニケーションをとって得られるものは違う。
たとえそれが同じ内容であったとしても。

本来は双方のメリットをいかしてうまく活用できれば、何の問題もありませんでした。

自分の思いをもっと表現しよう!
ネットでSNSで。

うまく活かせばいい循環が生まれて、みんなのためになったり、自分のためになったり、世の中のためになったりします。

特にこうしてお互いが見えない世界でも、お互いの考え、思いを表現する場があちこちにあって、それに共感したり、新しい人間関係が生まれたり、議論したり、そこから生まれるビジネスもたくさんあるわけです。

問題なのは現実世界での自分の立ち位置や心のよりどころ、社会との関わり方、身近な関係性とのバランスがとれなくなったとき。

心の制御が効かなくなってしまったら。

バーチャル世界でもう一人の自分がそのバランスをとろうとする。

現実世界じゃないから、本物の自分は安心安全。

簡単にアクセスして流れにのっかって、暴走が始まる。
それをすると一時でも心がスッとするから。
自分が救われたように思うから。
存在感が得られたと思うから。

普段は言えない生身の自分に代わって、バーチャル自分が思いの丈をぶつける。

目の前にいるのに目の前にいないと思ってる誰かに向かって、バーンと直球を投げつける。

受けた側はボールをよけられる人もいる。
でも中には大きなケガを負う人もいる。
でも投げつけた人はその人の傷が見えないからわからない。

目の前でケガしてうずくまってる姿が想像できないから.
「そんなつもりはなかった」
なんて言えたりしちゃう。

自分を強固に守って自分の感情を投げつける。

もしかしたら自分の心の窮屈さや鬱屈した感情を、どこかで出さないとだめだと本能がそうさせるのかもしれません。

その自分を責めたとしても現実の自分が解放されなければ変わりません。

本当の自分を慰めて力沸き起こらせてくれる何かを欲していませんか?
自分の価値観を自分で押し下げてはいませんか?
自分の気持ちをないがしろにしていませんか?

もっと自分を許してあげてはどうでしょうか?
これで十分大丈夫だって認めてあげてはどうでしょうか?

自分が思ってる以上に周りは見てくれているものです。
その視線に自ら気づこうとしていますか?
わかっているのに見えないふりをして避けてはいませんか?

人は誰でも弱いし一人じゃ生きていくのもしんどい。
でも弱いところを見せたくないからつい虚勢をはってしまったりもする。

そういうアンバランスさがバーチャル自分を助長させ、想像する力を弱くして感情にまかせて行動してしまう。

現実世界の自分の心のスペースを広くもつために、
疲れたときは誰かの手を借りて、人ともっと関わる。
強くなくていいから、だめなときはだめという。
やれるときはしっかり動く。
喜怒哀楽を表現する。
声を聞く、かける。
教えてもらう、教えてあげる。
生き物の生きるエネルギーを感じる。
しっかりご飯を食べて、よく眠る。
そんな普通のやりとりをもう1度確認してみる。

その繰り返しが感情の振り幅を小さく穏やかに変えていってくれる、一つのきっかけになってくれるかもしれないなと思っています。

勝手な考えではありますが、そんなことをちょっと書いてみました。





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