突然ですがこれは2011年の夏の甲子園、決勝戦で勝負が決まった際に発せられた実況アナウンサーの言葉です。
この年はやはり特別な年だったということもあって、みんなそれぞれ思うことも多々あったと思います。
2011年。
今からもう10年以上経ちます。
10年一昔とはよくいいますが、本当にあっというまでした。
というか大人になればなるほど時間が経つのは早く感じますね。
これは諸先輩方と話をしていてだれもが同様にいいます。
時間の感じ方があきらかに違う不思議。
で、なんでこの言葉がしょっぱなからでてくるのか。
しいていうならこのブログを書くにあたり何を書こうか考えてみた時に、「夢」というキーワードが浮かんで、そしたらこのタイトルの言葉につながった。
そんなところでしょうか。
でも夏の甲子園ファンの一人としていつも思うのは、負けても勝ってもとにかくその純粋さに胸がぐっとくることが多いということ。
余談ですが私はプロ野球はほとんど興味のない人間です。
でも夏の甲子園だけは好きなのです。
それは彼らが何事も一生懸命で、一戦一戦を大切に大事に向き合って楽しんでるから。
応援団のみんなも一生懸命声をあげたりブラバンで盛り上げたりしてるから。
試合の流れに一喜一憂してる姿に、観てるこっちも感情移入したりするから。
誤解のないようお伝えしますが、プロがそういうのがないと言ってるわけではないですよ。
プロも人生かかった「仕事」なので一生懸命です。
でも。
高校野球は大人にはない「純粋さ」「情熱」が、個人の勝手な見解として思う決定的な違いではないでしょうか。
高校野球に限らずアマチュアの競技はみてるとそういう部分をすごく感じます。
昔子供だった頃、みんなそういう経験を一度はしたはず。
でも年を重ねていくうちにそういう純粋さ、情熱をいつの間にか忘れてしまった。
都合良くいいわけして人生をうまく泳いでいく術を身につけた。
でもその代わりに、その頃の感情が少しずつ小さくなって、どんどんすみっこに追いやられてしまった。
あの頃のいきいきしてた自分はどこにいったんだろう。
そんな大人たちがキラキラ輝いた彼らと接することで、忘れてしまっていた気持ちを取り戻すことがあるんじゃないか。
社会の中で生きていくうちに汚れきった自分が、彼らのひたむきさでちょっとだけ心の洗濯ができたりするんじゃないか。
自分が応援しているのに、実はそんな大人たちへ応援をされている。
だから彼らの勇姿を見た後、なんとなく心がすっきりするんじゃないのか?って思ったりします。
星の王子さまの中で忘れられない言葉。
おとなは、だれも、はじめは子共だった。
(しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない)
年をとったからもうだめだ、なんてことはない。
身体的なことで難しいことはあっても、やろうとする気持ちはいくつになったって持てる。
それを本気になってやろうとするかどうか。
経験が邪魔して踏み出すまでに時間がかかっちゃう。
それは大人だから。
怖さを知っちゃってるから。
でも子供のころの夢とか、希望とか、なんにも考えなしに飛び込んでた行動力をもう一度思い返したい。
今からでも遅くない。
私も彼らにそんなことを教わる大人の一人です。