鳥さんは人間の道具では無い

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私事ですが、10月に大きな手術をしまして、そのとき両親に世話になったので、お礼を持ってプチ帰省をしてきました。
そこで、ここでもご紹介した三羽の保護鳥を迎えた話をしたときです。
ライとあさぎが人間嫌いだという事を話したとき、母が
「大変やん。そんなんじゃ、アンタの楽しみは何処にあるん」
と言ってきたのです。そこで私は答えました。
「私の楽しみなんてない。私は彼らが遺棄という、少なからず人間に不信を抱く体験をして傷ついているまま、ただ保護施設で暮らすよりも、多少は遊べて空も飛べる空間を提供したいだけ。彼らには彼らの生き方がある。彼らの好きなように暮らしてくれれば良い。私はそのための環境を、コツコツ整えてキレイを保つだけだよ」

愛玩動物、と言いますが、鳥さんだけで無く犬猫さん達も含め、全ての生き物は人間の道具では無い、というのが私の信条です。
もちろん、だから家畜は虐待だとか、野生動物の駆除反対とか、そう言うことを言うわけではありません。それはそれ、これはこれ。
言いたいことは、人間が動物さん達を弄ぶために「愛玩動物」が居るわけでは無い、と言う考え。
どんな姿でどんな大きさでも命です。人間にも命がある。命同士は対等です。
その命を預かる以上、自分が楽しいかというのは二の次であって、命を繫ぐ・尊重するという心が先ず第一に有るべきだと考えているのです。

ライとあさぎが、人間を好きになるかどうかは、私の姿勢と彼ら次第であって、「そうならなければ哀しい」というのはこっちの勝手なのです。
八光(文鳥)の記事でも書きましたが、そう言う謂わば邪念を棄てて、黙々と彼らの命を守っていきたい。
ただし、こう言うのは「普通にペットを飼いたい」という方には向かない考え方なのは分っています。ほとんど修験者みたいですよね。母もポカンとしておりました。

でも、この考え方は変えるつもりはありません。
ですからこのサイトでは、私は「飼い主」とは言いません。あくまでただの「人間」なので、「人間さん」と書いてます。鳥さん達は人間さんの「同居人」です。
愛玩動物って言う単語もあまり好きでは無いですが、動物さんを人間社会の法律で扱う以上、こう言う用語にせざるを得ないんですよね・・・
でも決して彼らは玩具じゃない、道具じゃない。
そこは譲れないところです。
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