過去は変えられる

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コラム
2012年1月23日、公認心理カウンセラーとなって1年半が経過し、さらに自分と向き合っていた頃に書いたブログ記事をシェアします。
誰かのカウンセリングをすると、少なからず自分の心が騒めきます。セッション中は、それを脇に置いて、クライアントに集中して進めるのですが、自分が引っ掛かったところをチェックしておいて、後から自己カウンセリングし、自分と深く向き合うんです。そうやって深層に追いやった未解決の問題を1つ1つクリアにしていくことで、魂が磨かれていくんです。言葉を変えれば、本当の自分取り戻す感じでしょうか…。
これを習慣にすると、歳取らなくなるんですよ(笑)

「過去は変えられない」と多くの人は思っています。
ここをご覧のあなたもそうでしょうか?

前に私は、
写真に残された過去の同じ風景が、いま違って見えるものがある
と書きました。
見ているものは同じなのに、どうしてそう見えるのでしょうか。

自分の日記を読んでみると、
過去の記憶というものが、あまりにもあいまいだということに気づきます。

たとえば前に書いた十二指腸潰瘍ですが、私は実は社会人1年生になって、
初めて発症したと思い込んでいました。
病院通いをしていたのもその頃で、新人のくせに早く帰る、タバコを勧めても吸いやしない、酒づきあいも悪い、そのことが先輩たちには避けているように見えて、疎外感を感じていた、怠けているようにも見えていたのではないかと、そんなふうに、勝手に記憶していたんです。

実際、その当時も通っていたのでしょう。
けれども、それは社会に出たプレッシャーが大きかったからとは必ずしも言い難く、学生時代も患っていたんです。それよりも、慈愛願望欲求を充たしてくれる某女性とめぐりあったことで、アフターファイブの重心を自分の楽しみに置きたいとした私の気持ちと先輩方との期待との間に、大きなギャップがあったのだということです。

私は社会人1年めの年末に、ようやく上司や先輩方と心底打ち解けるのですが、それまでは「なにも教えてくれない」と感じ、プレッシャーばかりかける人たちと認知し、頑なに自分の殻にこもっていたんです。

このことに気づいただけで、過去の風景は一変します。
社会人1年めの私は、先輩方に助けていただいていたんだ、ありがたい、と。
殻に閉じこもっていた自分も、前は嫌いだったのですが、
それが慈愛願望欲求を充たすための行動だったと知ると、
辛かったねと声をかけたくなってきます。
そんな自分を愛おしくさえ感じます。

そのイメージを、いま、自分の中で思い描いてみると、社会人1年めの私は、人からすごく愛されていて、幸せだったと感じます。
うまく相談できなかった両親も、私を心配し助けたかったのだと。「私は助言できないが、お前の思うように生きろ」と微笑む父の顔が、いま私の頭に浮かんできます。
そして、その父に、大丈夫、俺はもう一人で生きていけると自信も出、感謝できます。

ハードに生きた私の22歳が、珠玉の1年に変わります。
こんなふうに、心のあり方1つで、過去は変わるんですね。

記憶は想像以上にあいまいです。
意識しなければ、自分の都合のいい(問題を避けて生きる)ように、勝手に書き換えるのではないかと私は思います。

でも、本来解決すべき問題は、一時避けられたとしても、それを克服するまで、何度も人生の過程で遭遇するものなのですね。
どうも、それが真実のようです。
ならば、問題を避けることを止め、1つ1つ受け止め、解決して、生きていこうではありませんか。

自分の行動を制限する過去は、変えられる。
そのことは「過去にとらわれない」でもお話しています。

消してしまいたい過去、心の奥底に閉じ込めた過去を変え、
あるがままの自分で生きていきましょう。


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