家族との関係【わたし編】

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コラム
家族の中で、
「しっかり者」
というレッテルを貼られた私は
物心ついた頃から長年、その
「しっかり者」という役割をこなさなければ!
と生きてきた。


でも、つらくなった。

何故、わたしが何もかもを担わなければならないのか?
何故、わたしが背負わなければならないのか?

でも、言えなかった。


「お前はしっかりしてるからな」
という一言で、
 私は、家族に対して、
支えや助けを求められなくなった。


常に

わたしががんばっていないと!
母を守らないと!
父を支えないと!

でも、わたしを支えてくれる人がいない(>_<)

という状態。。。


そんな中で、がんばるのには限界があった。


でも、実は、がんばらなくてもよかった。
背負わなくてもよかった。

「がんばっている自分」じゃないと 価値がない
「しっかりとお役目を果たせる自分」じゃないと 価値がない
と思い込んでいただけだった。
自分で背負いたいから背負っていた。


がんばれなくても いい
背負えなくても いい

ここに居るだけでいい

それに気付き、
そう思えるようになるには、
時間もステップもかかったけれど、

合気道仲間の存在に助けられながら
何年もかけて学び、向き合い、
ようやく、ようやく
ガッチリと背負っていたものを手放せた時

そこには、
わたしが支えて守らなければ生きていけない人
は居なかった。
わたしががんばらなくても大丈夫だった。

目の前の霧がパーッと晴れるように
そう思えた時、
それが、「寂しい」とは、まったく感じず
ただただ
「ありがたい」という想いがあふれた


誰かを支え、誰かを守ることで、
自分の存在価値を実感し、
自分をこの世につなぎとめておきたかった
だけ


そのお役目を課せられたわけではなくて、
私がただ、そうしたかっただけ

それもまた、
自分の『こころ』を守る為だった。
わたし、がんばったよね


それに気付くと、
そこには、あったかいものが溢れていた


がんばらなくても いい
背負わなくても いい
このまんまで居て いい

うまく言葉にできないけれど、
なんとなく


ちゃんとあったよ
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