「死ぬこと以外かすり傷」ってホント!?

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コラム
「死ぬこと以外かすり傷」
って、ちょいちょい聞くけれど、
私はその度に、
心が少し

ザワザワする。。。


ずっと
消えてなくなりたかった
私としては、
そう思わなくなった今でも、
まだ、こういう言葉はスッとは受け入れられないみたい(笑)


「消えてなくなりたかった」頃は、
合気道の師が

「朝、目覚めるということは、
今日も一日、生きていいということだ!」
というお話をされる度に、

「朝、目覚めると、
今日も生きなくてはならないのか・・・
って思う人も いるけどね。
一日が又始まることに 絶望感を味わう朝
もあるけどね。
なんで、『人は皆、死にたくない!と思っている』
という前提なのかね~
なんで、『生きられる=良いこと』って
決めつけられるのかなぁ。」

と、斜に構えて聞いていた。
なんだか
ものすごい正論で、理不尽に攻撃されている
ような、複雑な気持ちにすらなっていた。


当時のそんな複雑な心境を、
最近、「死ぬこと以外かすり傷」という言葉を
連続で聞いた時に思い出し、
そして、
気付いたことがある


実はその師は、病を克服されて、
今の「生」がある。
なので、おそらく
「朝、目覚めるということは、
 今日一日、生きていいということだ!」
という言葉には、
心底、その実感がこもっている
のだろう・・・ ということに!


いやね、その当時もそれは
頭では、文字通りに
「情報」としては、わかってはいたの。

「あー、だからそういうお話をされるんだなぁ」
とは、わかってはいたのよ。
頭では!
でも、その当時の私の心には、
その心情を察するゆとりはなかった。

頭じゃなくて、心で感じる
その、もっともっと手前の段階で
その言葉をシャットアウトしていた。
受け付けなかった。
(自分の心を守る為にね。)

「おー!
そういや、そういうことだったのね!」
と、今更ながら、初めて『わかった』
みたいな衝撃(笑)


それに気付いて、当時の私の心境に
ちょっと寄り添ってみた。

そして気付いた。


当時の私は、

「生きづらさをなくしたい!」
とは思っていたけれど、

「生きたい!と思えるようになりたい!」
とは思っていなかった。


だから、
「どうやったら生きたいと思えるようになるのか?」
という方法を、考えようともしていなかった。
(いやまぁ、その方法がすんなりわかったら、こんなに苦労してないんだけれどね。)


「生きづらさをなくしたい」
と、
「生きたいと前向きに思えるようになる」
は、違う。


う~ん、でもね、
そもそも、その時は
積極的に「生きたい!」などど、思えるようになれる
とは、思っていなかった!
そんな前向きな気持ちが湧くのは、
まずこの目の前の「生きづらさ」を解消してからだ
と思っていた。
でも、「生きづらさをなくしたい」時点で既に
「死にたい」と思ってないかも!?(笑)
ある意味、前向き!?


でも、その当時はほんとに
まずは「生きづらさ」をなくすことだと思っていた。


そしてねー、多分、
「生きたい!」って思ってしまうことが、
前向きにこれからの人生を掴みに行く感じで、
それがなんかちょっと
面倒臭い
と思っていたことにも気付いた(笑)
疲れてたんだね・・・。


それでも
あの時の私は、
必死で一生懸命に
「生きよう」ともがいてた。

「今の自分にできること」を探して、
こつこつと続けることでしか
生きづらさは解消できないと思い込んでいた。

一生懸命で
もうそれ以上、傷つきたくなくて、
ゆとりがなくて、
だからこそ、一生懸命に自分を守っていた。


ふふっ、ガチガチの「思い込み」も
いっぱいあったねー(笑)
(今でも、いっぱいあるけれど・・・)


多分、そんな自分が
ほんとに駄目な人間のような気がして、
今まで、その時の自分に向き合えなかった
のだと思う。


でも、そのちょっとした「怖さ」を乗り越えて
思い切って向き合い、寄り添ってみたら、
そこまで駄目じゃない『わたし』が居た。
めちゃくちゃ不器用で、健気ですらある(笑)


そんな自分に出合って、
ちょっと、ほっ とした。

そしたら、
「死ぬこと以外はかすり傷」だろうと、
「朝、目覚めるということは、
 今日一日、生きていいということ」
だろうと、
人がなんと言おうが別にいいかっ
って思えた。


わざわざその言葉を、
自分が傷つく方向に受け取り、解釈する必要はない。
そんな「選択」をするのはやめればいいか、
って、改めて思った。


もしかしたら、そのうち、
「死ぬこと以外はかすり傷ー!」
って言いながら、
何があっても、ケラケラ笑っているかもしれない♪

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