プライドからの脱却6

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コラム
転職先
 私が転職先として選んだ福祉の仕事は、知的障害者の入所施設でした。選んだ決め手は福祉の資格と経験がなくても働く事ができるというところです。その頃に社会福祉士の受験資格を取得するための通信課程を受けていましたが、まだ資格は何も持っていなかったので、ちょうどよかった職場でもありました。
 今まの人生の中で私が知的障害者と関わったのは、小学生と中学生の時にいたダウン症の子くらいでした。当時は障害者という存在について深く考えたこともなく、その子を見かけるたびに馬鹿にしていました。今考えればとても恥ずかしいことです。
 そしてこの仕事に就いてから、数々の衝撃を体験することになります。重度の障害になると、自分の意志を相手に伝えることができず、もちろん言葉を話すこともできません。入居者の部屋は4人部屋で部屋の中には人数分のベッドと鍵が掛かった収納しかなく、例えるなら独房のような感じでした。異臭を放ち決して居心地の良い環境ではなく、各棟の出入り口には鍵が掛かっており、自由に出入りができない、全く自由のない生活の場です。そんな劣悪の環境の中で何年も性格している人がとても不憫に感じてしまいました。正直この仕事を始めてから3日で辞めようと思ったくらいです。
 そんなある日ふと気づきました。自分の意志を伝えられない人でも喜怒哀楽は表現することができるのです。楽しい時は笑うし、悲しい時は泣いて、嬉しい時は喜び、腹を立てるときは怒ります。そんな喜怒哀楽のなかでもやっぱり利用者の方が笑ってる時はとても嬉しい気持ちになりました。

笑いの種

 利用者の人たちはみんなが重度の障害者という訳ではなく、軽度で普通にコミュニケーションが取れる人もいっぱいいます。ただちょっとした事で心が傷つきやすく、情緒が不安定になりやすい人が多いです。一度落ち込んでしまうと、なかなか気持ちを上げることができず、どう声掛けしたら良いのか悩むことも多かったです。
 ある日利用者同士のトラブルがあって、怒ったり泣いたりしている人がいました。私が仲裁に入ろうとした時、怒った利用者が急に私の頭を叩きました。頭を叩かれた瞬間、ペチッ!と物凄い音がしたと思ったら、その音が利用者のツボにハマったのか、喧嘩していた2人が急に笑い出したのです。そしたら2人はもう喧嘩どころではなく、私の頭に夢中で笑いながらペチペチ叩くのでした。そんなに痛くなかったのもありましたが、こんな事で喧嘩の仲裁ができた事と同時に、自分の頭がこんなに役に立つんだととてもびっくりした瞬間でした。
 今まで自分の頭を笑われる事をとても恥ずかしく哀しく思っていましたが、この瞬間でガラリと考えが変わり、自分の頭は人を笑顔にできる武器なんだと思えるようになったのです。
 この頃から私は、髪の毛のない自分の頭を積極的に笑いに持っていけるように、自虐ネタとして積極的に使うようになっていきました。

次回は、自分の頭が笑いの武器として役に立ったエピソードの数々をお伝えしたいと思います。



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