プライドからの脱却2

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コラム
通院と学校生活

 円形脱毛症が悪化し頭全体の髪の毛が抜け落ちてしまった後、小学5年生になってから毎週大学病院の皮膚科に通いました。ドライアイスを頭皮に擦り付けたり服薬等で治療を続けましたが、中学3年生になるまで全く改善することはありませんでした。
 たまたま小学4年生の頃から、学校で公帽を被るルールができていたので、登下校時はその公帽を被ることで頭を隠す事ができたのは幸いでした。学校が終わってからや休みの日に外に出る時はキャップの帽子を被って頭を隠して過ごしていました。
 小学生の頃は、友達から頭の事を揶揄われたり、馬鹿にされたりすることはなく、普段通りの関わりで遊んだりしていましたが、中学生になってから徐々に揶揄われる事が増えてきました。

奇跡?

 中学3年生になってから、なかなか改善しない状況を母が心配して、病院で働いていた親戚に相談したら、脱毛症を専門に治療している別の大学病院を紹介してもらいました。
 すると驚くように髪の毛が一気に生えてきたのです。私はやっと治ったと嬉しさが爆発するほどでした。親も友達も学校の先生もみんな喜んでくれたことも嬉しかったです。これからようやく堂々と帽子を取って外を歩けるようになると思っていた矢先、衝撃の事実を大学病院の先生から告げられました。
 私が服薬していたステロイド剤はずっと飲み続ける事ができないそうで、徐々に薬を減らしていかなければならなかったのです。事実ステロイド剤を飲み始めてから4、5か月程すると、お腹の調子が徐々に悪くなっていき、半年程経つと胃液を吐く程の嘔吐に襲われる日々が続きました。それは想像を絶する程の辛さで、トイレの壁が壊れるくらい叩いて苦しさを紛らわしていました。

痛恨の選択ミス

 ステロイド剤を飲み始めて半年後には当初の1/4までに服薬を減らされました。そして11月になると、その影響で再び髪の毛が抜け始めたのです。
 私にとっては2度目の地獄の日々でした。毎朝枕元には大量の髪の毛が抜け落ち、忘れもしない11月23日に遂に明らかにハゲが分かってしまうくらいに抜け落ちてしまいました。その日は勤労感謝の日で学校は休みでしたが、翌日から学校に行くことができなくなってしまいました。理由は脱毛症が再発してしまった事を友達に知られたくなかったという一心だったと思います。脱毛症が治った時にみんな喜んでくれたのが嬉しかったのですが、再発してしまったことを知られるのがとても怖かったのです。
 翌日の11月24日に病院に行って先生に相談したら、先生から意外な事を勧められました。
「君はカツラを被ったほうがいいよ。」
 正直、その言葉はなかなか受け入れる事ができませんでしたが、親にも相談して、一度治った事を考えれば一時カツラを被って治ったら外せばいいという考えになり、カツラを受け入れる事にしたのです。そして約1週間程でカツラができて、そのカツラを被って学校に行くことにしました。
 これが私の最大の選択ミスで、カツラを被った瞬間から周囲の目線が怖く感じるようになってしまいました。カツラを被った自分の姿を鏡で見ると、どう見てもカツラだと分かるのです。当時のカツラはまだその程度のレベルでした。
 学校に行ってもなかなか友達と関わることができず、一人で過ごす時間が多くなっていました。この日から35歳になるまで、この地獄の日々は続いていくのです。

 次回は高校、大学時代と社会人になってから、どのようにカツラを被った自分と向き合ってきたのかをお伝えしたいと思いますので、よろしくお願いします。


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