努力できないのは、自分が弱いせいじゃない。

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こんばんは。ずいぶん久しぶりになってしまいました。また再開しようと思います。気まぐれですみません。

今回、「努力」ということについて考えたことがあったので、ちょっと大きなテーマですが勇気を持って投稿してみます。

僕は今、中国語の勉強をしたり、仕事にまつわる本を読んだり、趣味であるSaxの練習をしたりと、いろいろなことにチャレンジしています。

しかし、それぞれ上達している実感が全く湧いてきません(苦笑)

時折、頭では「やらねば!」と思いつつ、サボってしまうことも多々。というより、サボってしまう方が多々(そりゃ上達しませんわね。。

習い事の練習を怠ってしまう息子に偉そうなことを言えた立場でもないなと、つくづく思います。

突然ですがみなさんは、努力って、才能だと思いますか?

僕は、それも含めて才能なんじゃないかって思っていました。あとは、目標達成の方法がわかっていることも大切かな。

目標を達成するメソッドは、本が多数出ていたり、YouTubeでも多くの方がお話されていますね。僕自身、参考にさせていただいています。

でも、最近、それ以上に大切なことがあるんじゃないかと思ったのです。



僕は努力できない自分に対して、いつも不思議に思っていました。

「頭ではやった方がいいとわかっているのに
取り組まないのって何でなんだろう?」

心理学的にはきっと解明されているのだと思いますが、僕はよく理解していないのでそういうアプローチでは触れません。

僕なりに考えていたのは、目標達成の方法がわからない、自分の怠け癖が悪い、それが本当にやりたいことじゃないんじゃないか?などなど。

でも、それよりももっと根本的なところに問題があるのかも?とふと思ったのです。

それは「自分なんてどうせ努力しても無意味だ」と頭の奥底で思い込んでしまっているということ

自分が努力しても何も習得なんかできやしない

努力して習得したって、どうせ失敗する

自分なんて努力する価値すらない人間

要するに、自分を信じられていないんですね。自信が、ない。

自信のなさは長いこと実感しているところであります。でも、自信のなさが努力の継続に繋がっているとは思ってもいなかったので、びっくりしたのと同時に納得感もありました。

努力しないという選択肢を選ぶことによって前進しないようにしているのかもしれません。先に進みたくないのかもしれません。怖いから。努力しなくていい理由を作っているのかもしれません。

こんなことを思って、「ああ、そうか」って。自分は自分の人生を自分の手で放棄してきたんだなって。

過去に「自分はどうせできない人間」って諦めてきました。そのシーンが走馬灯のように思い浮かびます。

兄に誘われた野球の朝練を狸寝入りでサボったこと。

プールの時間なのに狸寝入りでサボったこと。

長年続けてきた野球をすぐに辞めてしまったこと。

仕事を毎年転々と変えてきたこと。


もちろん、怠けたくなるのは人間の性(サガ)とも言えます。ただのサボり癖とも言えるかもしれません。

正解はわからないけど、僕は「自分が努力しても何も習得なんかできやしない」と思うことをやめようと決めました。これから証明したいなと。自分自身に。やれるんだぞって。ちゃんとやれば、進めるんだぞって。40歳越えてから、遅いかもしれないけど。これからを生きるしかないですから。自分の人生をしっかりと歩みます。


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