「生命倫理と死生学の現在⑯」 ~人は何のために生まれ、どこに向かっていくのか~

記事
学び
(6)「メメント・モリ」と「カルペ・ディエム」の人生論
①「メメント・モリ」(死を想え)の人生観

「みっちゃんは中学に入って間もなく白血病を発症し、入院と退院を繰り返しながら、厳しい放射線治療に耐えていました。家族で励まし合って治療を続けていましたが、間もなくみっちゃんの頭髪は薬の副作用ですべて抜け落ちてしまうのです。
 それでもみっちゃんは少し体調がよくなると、「学校に行きたい」と言いました。不憫(ふびん)に思った医師は家族にカツラの購入を勧め、みっちゃんはそれを着用して通学するようになりました。
 ところが、こういうことにすぐに敏感に気づく子供たちがいます。皆の面前で後ろからカツラを引っ張ったり、取り囲んで「カツラ、カツラ」「つるつる頭」と囃(はや)し立てたり、ばい菌がうつると靴を隠したり、悲しいいじめが始まりました。担任の先生が注意すればするほど、いじめはますますエスカレートしていきました。見かねた両親は「辛かったら、行かなくてもいいんだよ」と言うのですが、みっちゃんは挫(くじ)けることなく毎日学校に足を運びました。
 死後の世界がいかに素晴らしいかを聞いていたみっちゃんにとっては、死は少しも怖くありませんでした。反対に亡くなったお祖父さんと再会できるのが楽しみだとさえ思っていました。しかし、何より辛いことがありました。それは、かけがえのない友だちを失うことだったのです。辛いいじめの中でも頑張って学校に通ったのは「友だちを失いたくない」という一心からでした。
 二学期になると、クラスに一人の男の子が転校してきました。その男の子は義足で、歩こうとすると体が不自然に曲がってしまうのです。この子もまた、いじめっ子たちの絶好のターゲットでした。
 ある昼休み、いじめっ子のボスが、その歩き方を真似ながら、ニタニタと笑って男の子に近づいてきました。またいじめられる。誰もがそう思ったはずです。ところが、男の子はいじめっ子の右腕をグッと掴(つか)み、自分の左腕と組んで並んで立ったのです。そして「お弁当は食べないで一時間、一緒に校庭を歩こう」。毅然(きぜん)とした態度でそのように言うと、いじめっ子を校庭に連れ出し、腕を組んで歩き始めました。
 クラスの仲間は何事が起きたのかとしばらくは呆然(ぼうぜん)としていました、やがて一人、二人と外に出て、ゾロゾロと後について歩くようになったのです。男の子は不自由な足を一歩踏み出すごとに「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にしていました。その声が、仲間から仲間へと伝わり、まるで大合唱のようになりました。みっちゃんは黙って教室の窓からこの感動的な様子を見ていました。
 次の日、みっちゃんはいつも学校まで車で送ってくれる両親と校門の前で別れた直後、なぜかすぐに車に駆け寄ってきました。そして着けていたカツラを車内に投げ入れると、そのまま学校に向かったのです。
 教室に入ると、皆の視線が一斉にみっちゃんに集まりました。しかし、ありのままの自分をさらす堂々とした姿勢に圧倒されたのでしょうか、いじめっ子たちは後ずさりするばかりで、囃し立てる者は誰もいませんでした。
 「ありがとう。あなたの勇気のおかげで、自分を隠したり、カムフラージュして生きることの惨めさが分かったよ」。みっちゃんは晴れやかな笑顔で何度も義足の男の子に御礼を言いました。
 しばらくすると、クラスに変化が見られ始めました、みっちゃんと足の不自由な男の子を中心として、静かで穏やかな人間関係が築かれていったのです。
 みっちゃんに死が訪れたのはその年のクリスマス前でした。息を引き取る直前、みっちゃんは静かに話しました。「私は二学期になってから、とても幸せだった。あんなにたくさんの友だちに恵まれ、あんなに楽しい時間を過ごせたことは本当の宝でした」と。」
(鈴木秀子『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』)

「マザー・テレサは、だからいま自分のなすべきことは、路上で死を待つしかない人びとが安らかに死を迎えることのできる<家>をつくることだ、と確信したのだった。思い立つと、そくざに行動するのが、マザーの性分である。
 彼女はそのまま市役所にむかい、そういう場所がほしいとたのみこんだ。事情を聞いた保健担当者は、しばらく考えこんでいたが、やがてマザーをそとへ連れだした。マザーの連れていかれた先はヒンズー教の聖域であるカリー寺院であった。…
「ここなんですよ、ここならすぐにでも無料でお貸しできるんですが」
 市役所の役人がマザーを案内したのは、本堂の裏手にある礼拝を終えた人びとが休憩所につかっていた建物だった。いまは空き家だからこれでどうか、というのだ。マザーは、ヒンズー教徒の礼拝と信心の場所だからとてもいい、さっそく使わせてもらいたいと答えたのだった。もっとも、この空き家は浮浪者がたまり場にし、バクチ場にもなっていたのだが、マザー・テレサにとってはそんなことは問題ではない。
「そのときもやはり何人か浮浪者がいましてね、ヒンズー教の聖域に異教徒の私が入っていったのでおどろいているの。でも、私は、こうしているあいだにも路上で息をひきとっている人がいるかもしれないと思うと、気がせいて、さっそく長椅子をベッドにしようと動かしはじめましたらね」
 何をしているのか、と浮浪者たちが、マザーのところへ集まってきた。マザーは当然のような顔をして、彼らに手伝いをたのんだ。
「いいところへ来てくれたわね。あなたたち、ちょっとこの椅子を動かして」
 女教師が生徒にものをいいつけるような、陽気で、自信にみちたマザーのペースにまきこまれた浮浪者たちは、わけもわからないうちにマザーのいうままに従順に、ある者はベッド作りに、ある者は掃除を手伝い、数時間後には荒れはてていた室内はみちがえるほどきれいになった。さっそく、数人の患者が運び込まれる。
 サンスクリット語で「ニルマル・ヒリダイ(清い心)」と呼ばれる<死を待つ人の家>がスタートしたのだ。
 人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない。自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむことだ。そしてまた、現世の最大の悪は、そういう人にたいする愛が足りないことだ。マザー・テレサはそう確信している。
 だからマザーは、世間に見捨てられ、身も心もズタズタになって路上に倒れ伏し、死の寸前にはこびこまれてきた、ボロ切れのようなひとりひとりのからだを丹念に洗い清め、髪を短く刈ってやり、粗末ながらも清潔な衣服に着かえさせて、ベッドにそっと横たえてやる。しっかりと手をにぎり、話すこともできない瀕死の人には目で語りかけながら、ゆっくりと温かいスープを口にはこんでやる。
「あなたも、私たちとおなじように、望まれてこの世に生まれてきた大切な人なのですよ」
 マザーは、そう話しかけながら、もう一度力をこめて手をにぎる。
 だれにもみむきもされなかったかもしれない。路上で生まれ路上で死ぬ身かもしれない。でもせめて死の瞬間だけでも人間らしくさせてあげたい……いままさに息をひきとろうとしている〝見捨てられた人びと〟をみとりながら、マザー・テレサの心はその想いでいっぱいなのだ。」
(沖守弘『マザー・テレサ あふれる愛』)

【死と生】(慶應義塾大学経済学部出題)
  All that we can say with certainty about this life is that each of us is 
born to die. When, where, or how our journey will end we cannot say――even this one certainty is covered in uncertainty――but we are all 
travelers on the road to death. And yet, how many of us live with this 
ultimate destination firmly in sight? We create routines to rule our lives, to give them a surface permanence. We get up, wash and eat at 
regular times each day; we dress according to a certain style; we move around with a particular circle of friends. Each of us creates a pattern of existence, however fragile, which gives our finite lives an appearance of infinity.
  We do not deny that death occurs. On the contrary, we are eager to 
read about it in novels or watch it in films, where it can be experienced at a safe distance. We can even stand real deaths, as long as they are 
far enough away to remain safely confined to newspaper photographs 
or the television news. In fact, the more we see, the less we feel; the 
greater the number of deaths, the more likely they are to become 
faceless statistics. As human beings, we are so self-centered that one 
death which touches us personally――even the thought that someone whom we love might die――upsets us more deeply than the deaths of any number of people whom we do not know.
  Death is something which happens to other people. As long as this is 
so, we can deny its reality, ignore the fact that we too are candidates. When ‘a loved one’ does die, we try to avoid any mention of death, but talk of their ‘passing away’ or ‘going to a better place’. Such deaths are surrounded by solemn ceremonies, patterns of routine for the event 
which threatens to make a mockery of all our routines.
  In the countries of the developed world, where child mortality rates 
are low and life expectancy is high, we try to avoid all contact with 
death in the flesh. While old age is celebrated in traditional societies, 
and the elderly treated with respect, we consider old age to be a social problem, and think of the old with pity and horror. Worshiping youth, 
we search for ways to remain young, hiding our wrinkles with face-lifts or make-up, and disguising the color of our graying hair. The dying are shut away in hospitals so that few experience death at close hand. The only dead body I have ever seen belonged to my father, and even that I saw――and touched――only by choice.
  And yet, would life be so wonderful without the death which we long 
to escape? We waste our time even now, when it is limited. In a life 
without the ultimate deadline what would we achieve? If we were more conscious of our mortality and of the mortality of those around us――, 
if we could really live as though tomorrow we might die, who would 
ever take beauty for granted, grumble at the weather, quarrel with a 
friend, leave a kind word unsaid ? This constant awareness of death in 
life is the goal of most of the world’s religions and philosophies; it is the state of mind which singles out the saint or sage.
  Few have the strength of mind to spend life in constant contemplation of death. But if everyone could remind themselves at least once a day 
that each second, once lived, is gone, and that each second is 
someone’s last, we might find that death could transform life, that the 
certainty of the one could give real meaning to the uncertainty of the other.
【訳文】
 人生について唯一確実に言えるのは、せいぜい、私達一人一人は死ぬために生まれてきたということだ。いつ、どこで、どのように私達の旅が終わるのかは分からない――このただ一つの確実性でさえ不確実性に覆われているのだが――私達は皆、死に向かう道を旅する者なのである。にもかかわらず、私達のうち一体何人が、この最終到着点をきちんと見据えて生きているだろう?私達は生活を規定し、そこに表面上の永久性を与えるために様々な習慣を作り上げる。朝起きて、顔を洗って、毎日決まった時間に食事して、決まったスタイルの服を着て、決まった仲間の輪の中で行動する。私達一人一人は、それがどんなに壊れやすくても、ある存在のパターンを作り上げるのだが、それは私達の限りある人生を一見無限であるかのように見せてくれるものなのだ。
 私達は死の存在を否定しているわけではない。むしろ、しきりに死について小説で読みたがったり、映画で観たがったりする。そこでは、死を安全な距離をおいて経験できるのだ。実際の死にだって耐えることができる。ただし、それは新聞の写真やテレビのニュースなど、自分に差し支えない遠いところに限定されている場合だけだ。事実、私達は死をたくさん見れば見るほど、何も感じなくなる。死亡者数が多ければ多いほど、彼らが顔の無い、ただの統計の数値になる可能性が大きくなるからだ。私達は人間であるが故に非常に自己中心的で、自分に個人的に関わる人がたった一人亡くなることの方が――あるいは自分の愛する人が死んでしまうかもしれないと考えるだけの方が――自分の知らない人が何人も死ぬことよりもずっと悲しいのだ。
 死は自分には降りかからないことだ。この考えが成立する限り、私達は死の現実を否定できて、自分もまた死の候補者だという事実を無視することができる。「愛しい人」が実際亡くなった時も、私達は死について直接語ることを避けて、「この世を去った」とか「他界した」などと言う。このような死は厳粛な儀式で囲まれている。それは、私達の決まりきった習慣を全て嘲笑うかのようなあの出来事に、習慣のパターンを当てはめようとしたものなのだ。
 幼児死亡率が低く、平均寿命が高い先進諸国に住む私達は、生身の死から全ての接触を断ち切ろうとする。伝統社会においては、長生きすることは栄誉であり、老人は尊敬される。その一方、私達は高齢化を社会問題だと考え、哀れみと嫌悪感を持って老人のことを考える。若さを崇拝して、整形手術や化粧でシワを隠したり、白髪を染めたりして、若さを保つ方法を探す。死に向かっている人々は病院に閉じ込められるので、死を身近に経験する人は少ない。私自身が見た唯一の死体は父のものだったが、それでさえ自分で選んだから見て、触れたにすぎなかった。
 だが、果たして私達が逃れたくてたまらない死というもののない人生はそんなに素晴らしいだろうか?時間が限られている今でさえ、私達はそれを無駄遣いしている。最終締め切り日のない人生で、私達は一体何を達成できるだろう?もし、私達が自分の死すべき運命――そして、自分の周りの人々の死すべき運命――をもっと意識していたなら、または、明日死ぬかもしれないというように生きることが本当にできたなら、一体誰が美しいものを当然と思い、天気に文句を言い、友人と喧嘩し、優しい一言を言わずにいるだろうか?このように常に生きながら死を意識することは、世の中の宗教や哲学の大方の目標であり、聖者や賢者であることを示す心の状態なのだ。
 死を常に意識して人生を過ごせるほど精神の強い人は少ない。でも、もし皆が最低一日一回でも、一秒生きたらそれは二度と戻ってくることなく、毎秒が誰かにとって最後の一秒なのだということを思い出せたなら、私達の生命は死によって変えることができ、一方の確実性が、他方の不確実性を真に意味のあるものにすることができるかもしれないということに気づくかもしれないのだ。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す