「脳科学と深層心理学のコラボレーション①」 ~「人間性」の根幹に関わる「脳」と「心」のヒミツ~

記事
学び
(1)脳科学から見た「頭の良さ」とは何か?
①認知心理学が明らかにした「8~9つの知性」

 認知心理学によれば、「知性」は8~9種類に分類され(言語的知性、論理・数学的知性、音楽的知性、空間的知性、運動感覚的知性、対人的知性、内省的知性、博物学的知性、霊的知性など)、これを「多重知性」(Multiple Intelligences)と呼びます。そして、脳科学の成果をふまえると、こうした「多重知性」の特徴・性質を科学的根拠に基づいて説明することが出来ます。さらに哲学的知見をふまえれば、認知心理学と脳科学の知見を統合的に整理することが出来るのです。

「認知心理学」~「心」を漠然としたものではなく、科学的に探求可能な「機能」と見なすため、「心の科学」と呼ばれます。「心」=認知機能と見なすので、「認知心理学」と言うわけです。

「多重知性」~アメリカの認知心理学者ハワード・ガードナーが1980年代に提唱しました。今では「8~9つの知性」が互いにある程度独立し、並列的に働くことが分かっています。

「言語的知性」(Linguistic Intelligence)~会話や読書、文章を書く時などに用いられる知性で、言葉を見聞きして記憶したり、それを操る役割を果たします。

「論理数学的知性」(Logical-Mathematical Intelligence)~計算や暗算、論理的な思考をする時に使われる知性で、様々な数学的論理記号を記憶し、理解して、それを操作する時に用いられます。

「絵画的知性」~絵や図形を見て理解したり、描く時に用いられる知性で、目で見た対象の形やパターンを捉え、記憶し、新しい絵を描く時などに用いられます。

「音楽的知性」(Musical Intelligence)~歌を歌ったり、楽器を演奏したり、音楽を鑑賞したりする時などに使われる知性で、音の並びからメロディーを聴き取り、記憶し、その知識を元に歌ったり、演奏したりする時に働いています。

「空間的知性」(Spatial Intelligence)~物体がどの位置に、どれくらいの速度で、どういう関係で存在しているかを知覚し、記憶して、空間の中でどう行動したらいいかを組み立てる時に働く知性です。

「運動感覚的知性」(Bodily-Kinesthetic Intelligence)~歩いたり、座ったり、ご飯を食べたり、スポーツをしたりというような、全ての身体動作を行う時に働く知性で、身体の姿勢や運動の様子を知覚し、記憶して、それらに基づいて運動をうまくコントロールする働きをします。

「対人的知性」(Interpersonal Intelligence)~「人間関係的知性」とも言います。他の人を理解する知性です。「社会的知性」や、「自分の感情を制御する働き」を持つ「知性」で、いわゆる「EQ」のことである「感情的知性」などと、さらに細かく分類することも出来ますが、これらをより上位の「知性」たる「超知性」「統合知性」に入れる考えもあります。

「内省的知性」(Intra-personal Intelligence)~「内的知性」とも言います。自己理解の知性であり、自分が誰か、何ができるか、何をしたいか、物事にどう反応するか、何を避けようとするか、何に惹かれるかといった自分自身を理解する知性です。

「博物学的知性」(Naturalist Intelligence)~「自然主義的知性」とも言います。自然の中でどう生き延びていくかといった知性であり、博物学者は自分の環境の多数の種、動植物を見分けて分類する優れた能力を持っていることから、この名前がついたようです。

「霊的知性」(Spiritual Intelligence)~例えば、チェロの名手カザルスの演奏に「神の声」を聴いて涙する、あるいはマザー・テレサの背後に「神を観る」ような知性です。ガードナーはこれに重きを置きながら、「多重知性」の中に入れることには若干躊躇があるようです。

「多重知性には少なくとも八つの知性と一つの超知性がある。すなわち、言語的知性、絵画的知性、空間的知性、論理数学的知性、音楽的知性、身体運動的知性、社会的知性、そして感情的知性が八大知性で、自我(スーパーバイザー)がそれら多重知性を統合しコントロールする超知性である。」(澤口俊之『幼児教育と脳』)
「私たちの知性とその脳内システム―多重知性フレーム―の性質から見れば、知性をいかに育てるべきかは、はっきりしている。各々の知性をまんべんなく、そして幼少期から育てるべき、ということになる。」(澤口俊之『幼児教育と脳』)

「IQ」(Intelligent Quotient、知能指数)~1905年にアルフレッド・ビネーが「知性」(インテレクト)の能力としての「知能」(インテリジェンス)を測定する検査方法を開発し、その方法によって数値化されたものを「知能指数」(インテリジェンス・クォーシェント)と呼びます。「多重知性」論に基づけば、これは記憶力や「空間的知性」「論理学的知性」などの一部の「知性」を計数化したものに過ぎないことになります。

「二重知性」~ヨーロッパでは伝統的に、「知性」にも「インテリジェンス」(Intelligence)と「インテレクト」(Intellect)という2種類があることが知られていました。インテリジェンスは知能指数で比較的正確に表わせるような知能因子の関わる面で、日常的な実務をてきぱきと処理する有能さや学校の成績などに反映され、受験的知性なども含みます。インテレクトは知能検査における開放因子と言われるもので、未知のものを探ってみようとか、非常にかけ離れた連想をするというような能力を指します。前者は地に足の着いた「実務的有能な知」「実学の知」「外から学び取る能動的知性」「単なる知」であり、後者は「空想的自由な知」「虚学の知」「内発的な受動的知性」「智=真知」であると言えるでしょう。

「我々のインテレクト、すなわち知性は全体として見れば、受動的なる能力である。人間というものは、その人が受動的であるに応じて、知的には強いことになる。我々はものを考える人に、ある種の受動的な態度を勧めたい。というのは、この受動性こそが、精神と霊感の本質に応ずるものなのであるからである。我々は人間の精神というものが、どのように働くかは非常によくは知っておらないのであるけれども、確実に知っている所では、受動的であることこそがその第一法則である。我々はどのようにして霊感というものがやって来るのかについては、さらに知る所が少ないのである。しかし、霊感すなわちインスピレーションというものは、我々の積極的な働きかけによるよりは、むしろ我々の無意識を利用しているということが観察されるのである。」(サルティラーンジェ『知的生活』(インテレクチュアル・ライフ))

「知性の三段階」~哲学的には「知性」は「感性」「悟性」「理性」の三段階構造で捉えることが出来ます。
 「感性」の働きは「先天的原型」による「知覚」などであり、個別的観念(イメージ)を形成します。例えば、カエルの目は動くものしか認識しませんが、これはそういった「原型」を生得的に持っているということです。
 「悟性」の働きは「感性」からもたらされた情報をふまえた、「記憶」による「照合」や「先天的形式」に基づく「認識」であり、普遍的概念(言語)を形成します。例えば「因果律」などは客観世界に存在するのではなく、我々の悟性の中に「先天的形式」として存在するのです。「パブロフの犬」のケースでも、犬はベルの音という知覚からエサのイメージを連想することが出来ますが、それはその2つのイメージが近接して記憶されているために過ぎず、その2つが因果関係にあると知っているわけではありません。つまり、犬はベルが鳴った時にしか、この連想が出来ず、概念として両者の関係を知っているわけではないのですが、人間はベルを原因、エサを結果という概念に抽象化できます。これは人間の「悟性」が「因果律」という形式を先天的に知っているからです。ちなみにこうした「因果律」が自然界に客観的に存在する法則ではないことが、量子力学によって証明されています。カントは「悟性」を「理論理性」「純粋理性」とも呼び、内在的認識能力と捉えましたが、これは「論理的能力」と言ってもよいでしょう。
 そして、「理性」の働きは「悟性」からもたらされた情報をふまえた、自由な「推理」や抽象的「思考」などにその本質があり、あるいは「価値」や「目的」の追求から「直観」(天啓)などもその働きに含めることが出来ます。これらはまさに「人間固有の能力」です。カントは「理性」を「実践理性」と呼び、超越的認識能力として捉えました。
 したがって、「多重知性」(インテリジェンス)は「認知能力=知能」で、「感性」から「悟性」に至るプロセスに属し、大脳の「感覚野」から「頭頂連合野」に至る情報処理、あるいは「右脳」の機能と言ってもいいかもしれません。「統合知性」(インテレクト)は「悟性」から「理性」に至るプロセスに属すると考えられ、「頭頂連合野」から「前頭連合野」に至る情報処理、あるいは「左脳」の機能と言ってもいいかもしれません。
 ガードナーが躊躇を感じた「霊的知性」は「霊性」に属すると思われ、「霊性」と「知性」の統合的説明は中世スコラ神学の主要テーマの1つでしたが、近世哲学・近代哲学に至って「霊性」の探求はスッポリと抜け、「知性」のみの探求が進められ、演繹的「理性」論がフランスで、経験的「感性」論がイギリスで発達し、両者を統合的「悟性」論で一つの枠組みに組み込む作業がドイツで行われていったのです。すなわち、極論すれば全ての「概念」が生得的であると考えたデカルトから始まる「大陸合理論」と、全ての「概念」は帰納的に得られるとしたベーコンから始まる「イギリス経験論」に対して、カントは人間が先天的に知っているのは「概念」の基本的「形式」だけであり、後天的な「概念」の「内容」は経験から得られると考えて、合理論と経験論を統合し、「ドイツ観念論」の出発点となるのです。
 ところが、「霊性」は「感性」「悟性」「理性」の全ての段階に並行して存在していると考えられているので、「霊的感性」「霊的悟性」「霊的理性」があるわけです。このうち「霊的感性」は「霊感」、「霊的理性」は「さとり」「啓示」「霊的直観」などと言ってもいいと思われるので、「霊的悟性」は「霊的認識」「霊的論理」のことを指しているのでしょう。ついでに言えば、「意志」と並行して存在している「霊的意志」は「信仰」あるいは「霊能」で、「情念」と並行して存在している「霊的情念」は「聖霊体験」に見られるような「悔い改め」や神秘主義に見られるような「没我」「神との一体感」を表しているのかもしれません。
 いずれにせよ、ヨーロッパの伝統的な「二重知性」論から、認知心理学と脳科学による「多重知性」論と「超知性」論に至る議論は、哲学的にはカント以来の新しい「感性」「悟性」「理性」論の提出と言ってもいいかもしれないのです。

【参考文献】
『幸せになる成功知能HQ』(澤口俊之、講談社)
『幼児教育と脳』(澤口俊之著、文春新書)
『MI:個性を活かす多重知能の理論』(ハワード・ガードナー、新曜社)
『クォリティ・ライフの発想 ダチョウ型人間からワシ型人間へ』(渡部昇一、講談社)
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す