教養としての近代思想②:宗教改革

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ルター:ドイツの宗教改革の指導者、『キリスト者の自由』。教会を通じてこそ信仰が成り立ち、救済がなされるという従来のキリスト教のあり方を批判。教会の権威や教義に縛られることなく、聖書を通じて一人一人が直接神と向き合う信仰によって罪から解放されると説きました。ルターには2度の回心があり、1度目の「雷雨の体験」で聖アウグスチノ修道会士となり、2度目の「塔の体験」でパウロ書簡の1つである「ローマ人への手紙」の研究から信仰義認の深い理解に導かれます。かくしてヴィッテンベルク教会に「95か条の論題(意見書)」を提出し、贖宥状(免罪符)批判を展開します。贖宥状はルター時代よりも200年前に始まったものですが、「贖宥状を買えば魂が救済される」として教会の資金集めに使われ、特に強力な王権のないドイツは教会から搾取され、「ローマの牝牛」と言われていました。ルター時代にはサン・ピエトロ大聖堂の建設資金を集めるために贖宥状が販売され、「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」と盛んに宣伝されていたのです。これに反発したルターの主張は、①聖書中心主義(聖書のみ、sola scripturaソラ・スクリプトゥーラ⇔聖書+伝承・伝統)、②信仰義認論(信仰のみ、sola fideソラ・フィデ⇔信仰義認+行為義認)。③万人司祭主義(⇔教会中心主義)、の3つに集約され、これをプロテスタンティズムの3原理と言います。ルネサンスが古代ギリシア・ローマを再生させたごとく、宗教改革は初代教会の精神に立ち返ろうとしたわけですが、ルターが立ち返ったのはイエスの原点(イエス教=本来のキリスト教)ではなく、パウロの原点(パウロ教=実際のキリスト教)だったわけです。ルターが所属した修道会の尊重するアウグスティヌスも「ローマ人への手紙」によって回心した人物でした。ちなみに、ルターは数多くの修道士の結婚を斡旋し、自らも元修道女カタリーナ=フォン=ボーラと結婚して3男3女の子宝に恵まれ、聖職者の結婚に道を開いたとされます。この点で、ルターは日本仏教における親鸞と共通性があり、イエズス会らの宣教師がはるばる日本にやって来て、浄土真宗を見た時、「異端のルター派がいる!」と報告したことは有名です。ルターはローマ教皇に破門を宣言され、自説の撤回を求められたヴォルムス帝国議会では、自らの良心に基づき、「我、ここに立つ!」「神よ、我を救い給え!」と叫んで、帝国追放刑を受けます。しかしながら、100年前に同様の主張をして破門・火あぶりの刑にあったイギリスのウィクリフやベーメン(ボヘミア)のフスらとは違い、グーテンベルクの活版印刷術の普及によってヨーロッパ各地にルター思想が広がり、旧教(ローマ=カトリック)への反発から新教(プロテスタント)への移行が生じました。そして、この間、ルターは『新約聖書』のドイツ語訳を完成しますが、これが近代ドイツ語の母体となります。讃美歌にもルターが作ったものが多く残されています。

聖書中心主義:ルターは信仰の原点はカトリックが説く戒律や儀式を守ることではなく、「神の言葉」を記した聖書を信じることであるとし、当時、聖書がラテン語で書かれていて、ドイツの民衆には読めなかったので、聖書のドイツ語訳に全力を注ぎます。比較宗教学の観点から言えば、聖書の時代的制約性や他の宗教の真理性、自然の真理性(自然神学、近代科学)を否定することはできず、純化・先鋭化したプロテスタントよりも聖書以外の要素も認めるカトリックの方が普遍性があるとも言えます。

信仰義認論:ルターは罪深い人間は内面的な信仰によってのみ神から救われるとし、自由意志を肯定したエラスムスと論争を起こしました。これは恩寵論に立つアウグスティヌスと自由意志論に立つペラギウスとの対立(ペラギウス論争)の再現を思わせます。ただし、キリスト教は愛を説きながら、人種差別や虐殺、奴隷売買を平気で行っていたという事実は「信仰のみ」に重きを置いた客観主義(自分は正しいとして、他者の主観を無視して自己の信念=「客観的真理」だと思うものを押し付けること⇔主観主義)の問題点を浮き彫りにしてくれます。実際、「信仰のみ」の立場に立つと、「善行」の意義が薄れ、日本の神社仏閣にあるようなおみくじやお札なども全て否定されます。

万人司祭主義:ルターは、カトリック教会が聖職者に認めていた宗教的権威を否定し、1つの福音の下にある限り、全てのキリスト教信者は等しく司祭であり、聖職者と一般信者の身分的差別はないと主張しました。これは神の前の平等という観点で近代民主主義の思想的淵源となり、さらにここから全ての職業は神によって与えられた召命(天職、ドイツ語Beruf、英語calling)という職業召命観が生まれ、それまで卑しいとされてきた世俗の職業に励むことが奨励されるようになりました。こうした職業召命観・天職思想はカルヴァンによって予定説と連結され、近代資本主義の淵源となります。

『キリスト者の自由』:キリスト者が何ものにも従属しない自由な主人であると同時に、隣人愛の実践として全ての者に従属し、仕える神の僕であると述べています。

カルヴァン:『キリスト教綱要』。予定説(選民思想⇔万人救済説、ユニバーサリズム)を唱えるとともに、職業召命観に依拠し、神の道具として与えられた職業に励むことが神を讃える人間の責務であると主張し、スイスのジュネーブで宗教改革を行いました。ルター派は人々の良心の癒しとその慰めに重点が置かれていましたが、カルヴァン派ではむしろ奉仕と戦いに全力を尽くすことが特徴的でした。また、ルター派は外面的な世界を統制する国家権力に奉仕することはキリスト者の望ましい態度とし、国家権力の強大化を助長する結果となりましたが、カルヴァン派は逆に国家権力が神の栄光に奉仕すべきと考え、社会や国家権力を積極的に改革しようという傾向がありました。カルヴァン派は商工業者らに支持され、フランスではユグノー、ネーデルランド(オランダ)ではゴイセン、イングランドではピューリタン、スコットランドではプレスビテリアンと呼ばれるようになりますが、その積極的な改革態度は各地の絶対君主との対立を招きました。かくして、1620年には102名のピューリタンが信仰の自由を求めて、北アメリカに渡り、ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)となりました。彼らがアメリカのプロテスタントの始まりとなる一方、イギリスで絶対君主と闘い続けた人たちは1642年にピューリタン(清教徒)革命を起こしています。したがって、カルヴァンの思想は近代資本主義の淵源のみならず、近代市民革命を経て、近代民主主義にもつながるのです。
予定説:カルヴァンは従来の教会のあり方を批判し、救済は神の意志により予め決定されており、人間の善行によってその決定を変えることはできず、救いの確信を得るために職業に励むことを説きました。

職業召命観:世俗の職業は神の栄光を増すために与えられた使命であるとする考え方。神への奉仕としての職業労働を通じて、世俗社会において救済の確信を得ることができるとし、人々に精神的な支えをもたらしました。

職業人:禁欲的に勤勉に職業に励む態度(心的態度=エートス)を持った人物像。この態度が資本主義の精神の基礎になったとされます。

ウェーバー:ドイツの社会学者、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。職業召命観を持つ、プロテスタンティズムの禁欲的な職業倫理が近代資本主義の精神を生む原因となったことを指摘し、キリスト教信仰と近代産業社会の関係について新たな捉え方を示しました。

対抗宗教改革:宗教改革に対抗してカトリックが起こしたもので、プロテスタントに奪われた土地を取り戻すべく、スペイン出身のイグナティウス=ロヨラやフランシスコ=ザビエルらが創設したイエズス会は、アメリカ大陸やアジアで布教活動を行いました。
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