母と息子の決断と決意。。。。

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3/28、深夜3時前に自宅に戻る。
トイレ介助を待っていたオカンが直ぐに声をかけてくる。
トイレへ移動。用をたして、おかんのベッドに入った時、オカンから「明日は医者から残念な結果を言われるかもしれないが、がっかりしないでね」と一言。「きっとMRIの写真だけ見て、はい終わり、手遅れです。もう治りませんだけだと思うよ」と。目にはうっすらと涙を浮かべてた。
まあこれまでの医者との関わりを振り返ってみると自分自身も期待は持っていない事はオカンにも伝わっていたのかもしれない。

朝。8:30の迎えに間に合うように7:00位から着替えとトイレ。
これだけ時間をかけてもギリギリになって、またトイレとなるのが悲しいところ。
送迎は玄関から1階まで介護タクシー職員が二人係りで階段を下す。
介護タクシーの中ではウトウトしていた。

病院で紹介状と検査データと画像が入ったROMを渡す。
整形外科外来の待合で待つ。
受付番号で呼ばれ、診察室へ。ほとんど期待もせずに「お世話になります」と頭を下げる。

紹介状を見ながら、医師から「もう一度、ことのあらましを聞かせて」ということで昨年末からのおかんの状況、大爆病院医師の説明やその病院を出禁になった経緯などを含めて説明をした。
医師からは「自信がある医者だったのかなあ、それでも他科の受診まで止めるというのはあってはいけないね。いくら院長が整形外科でその医師の直属の上司であっても、それはないね。また手術の成功に関しては手術そのものは成功率は高いかもしれないが、その成功がどのレベルを言っているのかにもよるよね。患者さんは元通りになると考えるかもしれないけど、その医師が言ったように自分の手術が失敗することはないが、後はその後のリハビリ病院の技量だというの凄いね」と一気に捲し立てた。
多少というかかなりオカン共々びっくりしながら、医師の意見を聞くことになる。前の大学病院から送られたMRiを出して、「頚椎、胸椎が狭くなっており、それが原因で神経伝達に阻害が出ている。これを治すには正直、手術しかないです。ただ現状維持が出来るかどうかというところが本当のところであって、今まで通りの生活を取り戻せるのかはまず難しいということ。それでも手術にかけるということであれば、勿論やりますが、ご年齢を考えると大きなリスクを抱えて行うこととなり、大学病院で提示された8日の間で2回の全身麻酔、ICU対応の手術を行うリスクは非常に大きい。これが60代、100歩譲って70前半であれば、賭けてみるということも考えます。リスクとしては全身麻酔のせいで今はない認知症が出る可能性が高いこと、また食事が食べられなくなり、体力がなくなるということがあるということです。大学病院の医師が後はリハビリ病院の技量というが、そもそも手術後に認知が出たり、体力が失われてしまった場合、リハビリそのものが出来なくなります。そうなったら元も子もない。リハビリ自体を理解出来なかったり、体力がなければリハビリが出来ない。そのまま廃用症候群のような状態なるような大きなリスクがあります。正直、どうしても手術ということであれば、やりますが、お勧めしません。また点滴による治療もおっしゃられましたが、効果が大きいとは言えない状況です。昨年末には全く歩けなかったのが、今は自力で数十歩でも歩けている。食事も時間はかかるが自力で摂れるようになっているのであれば、少し様子をみませんか?」
と一気に話された。
その後、握力計を出して、両手の握力を計測し、その後、手のひらの動き、腕の動き、両足の動きなどを細かく診察された。
「とりあえす今後は僕が診察しますし、継続して治療しましょう。ケアマネが求めている訪問看護の書類、リハビリの指示書も僕が作成します。首に関しては大きな衝撃を与えるのは怖いので、出来るだけ看護師がいる状況で入浴などが出来るようにしましょう。また歩行が少しでも距離が伸びるようであれば、両脇から支えてもらってデイサービスなどに通えるようであれば、医療ケアができるようなところを推奨しましょう。」とのこととなった。
今までと違い、「自分が責任を持って治療する」という言葉が出たのはありがたかった。もっと早く会っていればと後悔も出た。
次の受診日までの薬や市販薬を利用していた塗り薬も出してもらった。

家に帰るまでの介護タクシーの中ではオカンは一言も話さなかった。

家に戻ると「やっぱり最後まで口から食べたい。リハビリを頑張る。動かないからと何もしないのではなく、指も動かすことをやってみる。玄関マットの作りかけも明日からやってみる」言い出した。
最後まで食い意地の張ったおかんであった。

ベッドから全く歩くことが出来なかったのが、今は一日50歩くらいは室内で歩いている。トイレでよろけることも少なくなった。

食後、車椅子に乗ったままだが食卓で高校野球を見ていても、時間が長くなった。

オカンも腹を括ったのだろう。わちきはそれをサポートというか、やる気を維持するために餌で釣るしかない。

今日は流石に全く動けなかった。本来は仕事だったのだが、月曜からにしてもらった。下手すると解雇かもしれない。

わちきは信頼できる友人の医者に診察してもらった。
「うーん、心臓までデブになってるなあ。ちょっと良くねえぞ。」
奴なりの言い方だった。
「いつまで持つ?」とわちきは聞いた。
奴は「そりゃ、心臓止まるまでだよ」と。
わちきは「じゃ、急ブレーキがかからないような薬出してくれ」
奴は心臓の薬と「ニトロ」のシールを出してもらった。
「止まる前に早めに来いよ、止まってからだと何も出来ん。今んところ毛が生えてるだけじゃなくなってるから」とのことだった。

来週、月曜日からは仕事に戻る。仕事をしながら在宅での仕事を探す。

オカンが今の状況と喧嘩するということであれば、息子として応援するしかない。

母と息子の悲惨だけど、笑える決断と決意だった。
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