突然始まる介護。。。。

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11/11、母がコロナワクチンの接種をした。微熱が少し出たが、体調の大きな変化はなかった。
11/18、インフルエンザワクチンを接種。その際も大きな問題はなかった。ただ、足が痺れると訴えており、以前からの脊柱管狭窄症の影響だろうかと整形外科でいつも通りの治療を受けていた。

その頃から、食事の際に箸を落とす回数が増えてきたことも気になり、地域で脳外科では24時間対応をしている病院を母一人で受診。
のうのCT、MRIは共に問題なし。一人で帰宅。

今度は両腕の痺れを訴え始め、念のためにコロナワクチン接種後遺障害相談窓口に相談。状況を話すが判らないということで、接種した内科医を母一人で受診。12/18のことだった。その際も医師からは今服用している薬の効果が出るまで時間がかかりますよと言われたとのことだった。

12/19、仕事から戻るとやはり様子がおかしい。
12/20、朝起きて来ない。様子を見ると呂律が回らず、立位が取れない状態。
6:30に救急要請をした。救急隊は迅速に対応してくれたが、前に行った脳外科しか対応できるところがないとのこと。大きな病院の受診の方が良いとのアドバイスもあり、大きな病院が対応する9:00まで待って、もう一度救急要請をして欲しい。別の隊員が来ても分かるように申し送りをしておくとのことだった。

9:00になり再度救急要請。大きな総合病院に連絡するも母の年齢を聞くと、「満床だから」「他へいってください」と救急隊員が断られまくっている状況。母の容態は一応安定しているが、まだ痺れ、呂律が回らない状況が続く。
結局以前一度受診した脳外科を受診。救急搬送となる。これなら6:30に行っても同じだったかなと後悔しつつ救急車に同乗。車内での母の血圧は160/89今迄に見たことのない数字が表示されている。息も荒い状態で病院到着。先に救急車が3台来ており、「待たされるな」と思いつつ。院内へ。
母はすぐに病衣に着替えさせられ診察室横の待機室のベッドに横になっている。1時間ほど経過した頃に検査室に搬送された。30〜45分程経過した後、病衣からこれまで着ていた服に着替えて車椅子で廊下へ戻された。

その後、寒い廊下で30分、何の連絡もなくただ待たされた。寒さを訴える母に自分のジャケットをかけていたところに看護師が来て、救急担当の医師が手術に入ってしまって、1時間位かかるとのこと。体調不良を訴える母の状況を伝えて、朝一旦、横になったベッドのある部屋に戻り、横になる。

1時間ほど経過して、医師からの説明。「脳は問題ないですね。お帰りください。」これが救急外来の対応医師の回答であった。この状態でどうしたらいいのかと尋ねると。「僕は脳外科医ですから、他のことは分かりません。好きな病院へ行ってください」何科に受診したらいいか、どういう病院を受診したらいいのか、全く指示も出さず「僕はのうげかいですから他のことは分かりません」の繰り返し。挙げ句の果てには「画像ならあげますよ」と一言。

看護師も呆れて頭を下げていたが、医師は素知らぬ顔。
仕方なくその場で、以前受診したことのある大学病院へ、医師の目の前で電話。状況と医師からは「僕は脳外科医ですから分からない」という状況も説明したところ、相手先の病院の医師が「その医師に電話代われますか?」とのこと。脳外科医は「いや僕は代わりませんよ」と一言。看護師一旦対応。相手型の医師は「対応した医師に代わって欲しい」とのことで、その医師ではなく、別の医師が対応。結果、診療情報提供書と画像データを渡して大学病院宛に出すことを告げる。不貞腐れながらキーボードを打ちながら、書類を作成する医師。「はい、これを持ってって」この時初めて医師の顔を見た。つまり全く患者の顔すら見ることなく、画像だけを見てそちらを向きながら話をしていたのだ。

そのまま母を連れてタクシーに乗って病院を出た。すでに15:30になっており、その日のうちの大学病院受診は不可能になった。

母はそのまま現在も足が立たず、トイレも食事も出来ない状況。家族は母と私だけ。室内で立ち上がろうとして何度も転倒しており、一人で家に置くことは不可能と判断。家に帰り、これまで全く無関係だった介護認定を申請するために近くの包括支援センターに駆け込む。私が同業者であることがわかり、説明等はスムーズに終わり。担当方が家まで来られた。母の様子を見て、これでは一人で生活することは難しいですよね。判定が出るまで年末年始が入ることから、早くて2月。その間どうしよう。

一晩寝ずに考えました。医療現場での相談員をしていたが、このままでは患者に迷惑をかけることも考え、12月いっぱいは欠勤。1月末まで給食ということとした。当然、無給になるので、12月末に期間限定で生活保護を受けることで、行政との話をつけた。

夜中のトイレでも何度も転倒し、その都度介助。失禁もあるが、頭はしっかりしている。長谷川式も26/30という数字。口と頭は普通だが、体が言うことを効かない状態。

本人にとってこの状態は歯痒くて仕方がないと感じており、その思いを考えると辛い。落としてもいいようにプラスチックのものにして、フォークとスプーンにした。借家なので、手すりなどを簡単につけることもできないので、家具を動かして、手をつきながら歩けるようにしてみた。ため息も出そうになるが、グッと堪えている。家賃分だけが確保できれば何とかできると思う。

年明けに大学病院の診察がある。恐らく簡単には行かないと思う。入院になればそれはそれで大変。とにかく原因を掴んで対応しなければ前に進まない。コロナだったのかもしれないし、その後遺障害なのかもしれないし。

しかし、このことで下を向いていても仕方がない。ココナラに登録して相談を受けることにしたのも、何かの組織に属して相談を受けることに限界を感じていたので、時間限定で何とか相談業務を続けていければと考えている。

マイナスに考えれば、どんどん辛くなる。これを何かのチャンスと考えて頑張っていかなければ。介護は「突然」やってくる。我が身で実感している年の瀬でした。
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