私という存在の在り処

記事
コラム
人であれば普通の感覚である
「私とはこの人間のこと」

この感覚は当然のことではあるのですが
それって本当ですか?

人間は誰でもいずれ死ぬというのに
その死んでしまう存在が私なのだろうか?
もしそうならすでに死んでしまった人たちは
もう存在していないのだろうか?

亡くなった後もお墓参りに行ったり仏壇に手を合わせたり
相手をケアしようとするその気持ちは何でしょうか?

悟りを開くとは、私という人間の意識が
人間の頭から離れて
人間をやっている側に移行することです。

私という存在の在り処が移動します。

移動すると私は本来の定位置に戻るので
居心地がよく、全てにありがとうの気持ちを持てるようになり
人間的に苦しんでいたような事柄から
距離を持てるようになります。

その距離感が、悩みや問題を薄くしてくれて
気づいたら悩みが消えたり
問題はそもそも問題じゃなかったと分かったり
そのような変化が起きてきます。

私という在り処が本来の定位置に戻ること
このお手伝いを私はしていきたい。
それはまるで映画を見ているような
ゲームをしているような
そんな感覚です。

その感覚になると、現実が苦しければ苦しいほど
チャレンジする気力がわいてきます。
「面白くなってきたじゃん。」

そう言いながら現実にのめり込まなくなって
笑いながら苦しむという新たな状況に出会えるのです。

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