スピリチュアル嫌ってた私がツインレイ信じるしかなくなった話

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コラム

【序章】波乱万丈の人生

学生時代、みんなの輪に馴染めず友達がいなくていじめられることも多かった。

20歳の時、初恋の彼に出会ったものの彼の家庭事情が複雑過ぎて、彼のほうから結婚の話まで出たのに付き合うことすらできずに離れ離れになった。
私は心を病み続けて、精神が崩壊した。2年くらい実家の自分の部屋のベッドに寝てたと思う。
2年間の記憶は残って無い。なんとか両親に病院を見つけてもらって回復してきてからも、通院して治療しながらの日々、さらに、26歳の時に発達障害であることが判明。
大好きだった祖父や愛犬たちの死。親戚からの差別と虐待。当時は両親も不仲だった。
当時、親友だと思っていた人にも裏切られ拒絶された。彼氏だと思ってた人にも嫌われていた。恩師だと思っていた人にはセクハラを受けた。信じていた人はみんな去っていった。

絶望の底に落ちた私は自暴自棄になり、本当にこの世から消えようと思った。人生も命もどうでもよくて、人間は信じてはいけない生き物だと確信に満ちていた。
夜中に不良と遊び回り、朝帰りする最低の日々、ああ私は今死んでるのと同じだと思った。
自分で自分を壊して汚しまくれば、今よりも過去が綺麗に見える気がしていたのに。

ある日、病院のベッドで私はずっと泣いていた。
泣きながら、明日にはもうこの世にいないかもしれないと思い、清々しながら眠った。
すると、夢の中に祖父が現れた。声は聞こえない、でもとてもリアルで、祖父は今までに見たことのない、とても悲しい表情で涙を流して、私を守ろうとしているように見つめていたと思う。そして初めて、私を思い切り、力の限り抱きしめてくれた。
祖父の涙が私に流れてきて、私も泣いた。何度も何度も祖父は必死に私を抱きしめてくれた。言葉ではなかったけれど、
「お願いだから、生きていてほしい、絶対大丈夫だから、おじいちゃんも皆も絶対守るから、生きていれば幸せになれるから、死なないでくれ、頼む、生きていてくれ」
と伝わってきた。全力で私をこの世に繋ぎ止めてくれたんだと思う。

目が覚めると、病院のベッドだった。私は泣いていた。死ぬことなんて考えなくなっていた。
気付いたら、嬉しくて幸せで、私は両親や家族に感謝してまた泣いた。
きっと、私が消えたら、みんな悲しむから、絶対に私は、みんなのためにも自分のためにも幸せになろう、絶対に。そう誓った。


【2022年4月】婚約者、まさかの別れ

その後すぐに、私は運命的な出会いをした。

2019年の春、退院後すぐに出会った年下の彼は最初から自然と話しやすく、波長が合っていた。
当時とても落ち込んでいて、発作的に「消えてしまおう」と強い不安に襲われてパニックを起こしていた私を、彼は親身に励まし続けてくれた。
そして私からの猛アタックで交際することになり、順調に事が運び、将来は結婚しようという話になっていた。実質、婚約者だと周りにも話していた。

なのに、2022年になった頃から私は何か彼に対する気持ちに違和感を感じ始めていた。
何故だろう、ふと私は「もっと別の誰かが私を待っている気がする」といつの間にか思うようになっていた。
蓄積した違和感は心のすれ違いとなり、少し言い合いにもなった。

後に、なんと彼は”アセクシュアル”というLGBTQのQに該当する性質の持ち主だと判明した。
長い間、プラトニックな関係を続けていて、それでもいいと思っていた私だったが、やはり何か物足りなさや孤独を感じていた原因の1つのようだった。
お互いに申し訳ないと謝り、しっかりと話し合いを重ねた結果、もともと非常に相性が良く信頼関係を深く築いていたのもあり、私達は性別を超えた、1人1人の人間としての「親友」になった。

今も、彼が私にとって1番の信頼できる友達であり親友でもある。元恋人という記憶は完全に過去の良い想い出としてお互いの心の中に残っている。
とても不思議な関係性だと思われるかもしれないが、私達にとっては自然なことだった。


【2022年8月】初恋の未練、「2」のゾロ目

その頃、もう病気が発症してから9年ほどが経過していた。

にも関わらず、私にはずっと消せない、心のシミとなって残っているような、どう足掻いても忘れられない存在がいた。20歳のときの初恋の彼だった。
未練が募り続けて、次第に執着や依存に変わっていたドロドロに濁った感情。毎日悩んでいた。どうすればまた会えるのか、また結ばれるのか。それしか考えられなくなっていたと思う。

そんなある日、私が実家で何気なくテレビをつけると、両親が珍しく少しびっくりした様子で「あ、ゾロ目」と言った。
私も確認してみると、なんとHDDの録画可能時間が「222分222秒」だった。
そんなこと、いつもなら特に気にならないはずなのに、そのとき私は全身に衝撃が走った気がした。
これは何かがあるのではないか、と直感で思った。
何なのかは今でも分からないし、なぜ自分がそのような衝撃を受けたのかも分からない。ただただ、驚愕して、気が付いたら私はネットでエンジェルナンバーについて調べていた。

エンジェルナンバーという存在を、もともと知っていたかどうか定かではない。おそらく、知らなかったはずだ。
なのに私は、まるで最初から調べることを決めていたように、エンジェルナンバー「2」のゾロ目について深く調べ始めていた。
ネットには、”信じられないような幸運を呼び込む最強のエンジェルナンバー”だと、調べた限りそう書かれていた。


【2022年10月】人生を真剣に考えた

この頃、ふと私は自分の人生の在り方について深く思案することが増えていた。

毎日の生活の中で、何かしっかりとした人生の目的・目標が欲しいと強く思うようになっていった。母にもそれを相談し、真剣に話し合った結果、やはり自分の好きなことを突き詰めていくのが1番良いのではないかという結論に至った。
私は幼い頃から絵や漫画を描くこと・物語を創作して小説を書いたり絵本を描いたり、簡単なアニメーションで紙芝居のような映像を作ったりすることが大好きだった。

そして大人になってからは、球体関節人形(いわゆるドール)にもハマっていたのもあり、思いついたのが、人形を使った短編映画を作って、ショートムービーコンテストに応募しようということだった。
私は本気で、ショートムービーコンテストで優勝したいと思うようになっていった。もともとショートムービーというものが大好きでもあったし、短編映画撮影のための小道具や、もちろん台本もすぐに書き上げてしっかり準備をした。

母は、何かを成し遂げるためには、私の場合、コンテスト等に応募して多くの人の目に作品が触れる必要があると思うと話してくれた。そして、やるからには全力で1番を目指そうということだった。
私もそれには激しく同感していたので、出来ることは全部やろうと思った。

そこで、1つのアイデアがまた浮かんできた。
”映画の主題歌制作を誰かに依頼したい”という大それた案だった。でも当時の私はまったく大それているなんて思わなかったし、とことん突き詰めて限界突破したいと考えていたのだった。


【2022年11月】まさかの芸能人とコラボ

思い切った決断をしたなと今でもたまに思う。

当時、私は全力でショートムービー制作に取り掛かっていた。それは確かなのだが、何故か短編映画の主題歌制作を依頼したいと思い付いたときに、どうせならプロの方にお願いしたいとまで考えたのだった。そのほうが、より多くの人々の目に留まるだろうと思ったのだ。

普通ならあり得ない発想かもしれないが、あくまでも私は本気だった。そして、どうせなら、と思って私は初恋の彼に想いが届けばいいと考えて、20歳の頃に彼に教えてもらったとっておきの音楽アーティスト様を思い浮かべた。まさに私が制作している短編映画とイメージがぴったり重なっていた。

そこで、早速そのアーティスト様の公式ホームページのお問合せ欄から直接、経緯の説明と楽曲制作依頼についての気持ちを書いて送信した。すごい行動力だと言われることもあるが、私にとっては、”やらないよりやって後悔したほうがいい”という信条の通り、普通のことだった。当たって砕けろの精神が、病気や障害を発症したことによって、私の中に根強く生きていた。限られた人生の時間の中で、やらずに終わることがどれだけ勿体ないことかと思っていたからだ。

そして数日後、メールボックスを開くと、なんとアーティスト様本人からメールが届いていた。流石にこれには私も驚愕してしまった、と同時に歓喜に震えてしまった。
まさか自分の気持ちが通じたのだろうかと、信じられなかったが、アーティスト様はその後も丁寧に、生粋の初心者である一般庶民の私に対して親切に楽曲制作についての話を進めてくれた。

本当に楽曲制作してもらえるなんて、正直、きちんと想像できていなかったのに、ここまですんなりと奇跡のような展開が起こるなんて、いったい私はどうしてしまったのかと、少し動揺していた。


【2022年12月】創作と異常な執着

それからというもの、毎日が創作の日々だった。

短編映画の台本を直したり試し撮りしながら、アーティスト様と毎日メールで楽曲についてのイメージを固めていったりした。
まるで自分も本物のアーティストになったような気分だと話したら、そのアーティスト様は、”プロとアマチュアの境界線なんて決まってない。本気で音楽に取り組む人は皆プロと呼んでいいのではないか”と言ってくれた。
俄然やる気が出た私はどんどん創作活動を進めていった。

しかし、夜になると決まって初恋の彼を思い出してしまっていた。時には涙に暮れてパニックを起こす日さえあった。どうしても、忘れたいのに忘れられない。本当に苦しかった。死んでしまいたいほどに。
時々、夢の中にも彼は現れた。でも、夢の中でさえ彼は何も言ってくれないのだった。目が覚めると憂鬱な気分で、行き場のない想いが自分の心を突き破って、1分1秒ごとに部屋に散らかっていく感じがした。

そしてついに私は、彼に連絡をとる決意をした。といっても、連絡手段など分からない。そこで、やってはいけない方法をとってしまった。もう、それ以外に何も考えられなかった。SNSで彼のことを探し始めたのだ。
いわゆるネットストーカーと呼べるのではないかと、本当に自分が恐ろしく、思い出したくはない。でも、この話を語る上では避けられない過去である。
数日後、私は彼らしき人物をSNSで見つけてしまったのだった。


【2023年3月】10年の恋、消滅

浮かれて私は彼に話しかけた。知らない人のふりをして。

本当にどうかしている。迷惑極まりない行為だった。今なら分かるのに、当時の私は何も分からなくなってしまっていた。心底、申し訳なかったと思う。
最初のうちは、楽しく会話ができた。でも、彼は徐々に私のことを怪しいと感じ始めたようで、周りの人に相談していたらしい。ついに私は正体がバレて、その場にいる全員から白い目で見られ拒絶された。当たり前のことだった。

私は自分がしてしまった過ちにようやく気付き始めて、すぐに彼に全力で謝罪し反省した。
本来なら、そこで私を無視して拒絶してもいいはずだったが、彼は根が真面目で優しいのだろう、返信をして心情を説明したうえで一切の関係を切ってくれた。
”あなたのことが怖いです”と言われたのだ。

その時、初めて彼からハッキリと本音を聞けた気がした。ショックは受けたし、自己嫌悪に狂いそうではあったものの、心のどこかで、「やっと終わった」と脱力している自分がいた。
ようやくこの、永遠に死ぬまで終わることのない絶望から、抜け出した。

そう気付いた時、ふっと全身から憑きものが取れたように、心身が軽くなった気がした。
どうして今まで、あんなにも彼のことに執着をして過去の関係性に依存して、おぞましい想いを渦巻いて苦しんでいたのか。一瞬で分からなくなった。

身勝手だと思うかもしれないが、私にとっては命がけの、人生の目標なのではないかと思っていた大きな事柄が、突然目の前から全部消えてなくなったような感覚。
数日後、私は完全に彼への恋心が消滅していることに気が付いたのだった。


【2023年4月】独身決意、ツインレイ発見

その後すぐ、私は1人で居たほうが幸せだと思うようになった。

今まで10年間、ずっと心に抱えていた闇が綺麗に消え去ったことで、もうこんな思いは絶対したくないと強く感じたのと、せっかく心が10年ぶりに自由になれたのだから、自由な人生を謳歌したいと思ったからだ。
私にとって自由とは、1人で好きなことややりたいことを追求できる時間だった。
今までも好きなこととやりたいことを中心に頑張ってきたつもりだったが、どうしても頭の片隅に彼のことが浮かんで離れなくなり、作業が中断したり、集中できなかったりしたし、何より、病気が悪化する一方だった。恋愛とは苦しみを伴うものなんだと無意識に認識していたんだとも思う。

それまでは、恋愛至上主義であり、それ自体が悪いことではないが、私の場合は恋愛に依存してしまい、恋愛をしていない時間は楽しいと思えなくなっていたし、相手が居ないと生きていけないとまで考えていた。
その恋愛への執着も、彼との件によって、綺麗に消滅していたのだ。
その時、生まれて初めて私は、誰に依存することもなく、精神的に自由だった。とても心地良くて解放的で、何故今まで自分を縛り付けて苦しんでいたのだろうと思った。

でも、過去の自分はよく頑張ったと思う。その苦しみ悲しみがあったからこそ、今の自分が在るのだということも、同時に分かった。
そういった経緯で、私は一生独身として自由に暮らしていきたいと自分から願うようになっていた。
もしも、また恋愛をするのだとすれば、よっぽど、本当の意味で命を共にできるような、心の底から尊敬できるような、深い絆で結ばれるような人でない限り、もう恋愛をするつもりは一切なくなっていた。

そんなある日、私はたまたまYouTubeで動画を見ていて、ふと自動的におすすめ動画として流れてきた映像を、何を考えるでもなく眺めていた。すると、そこに映っていた人物を見た瞬間、私はこう思った。
「あ、この人、私のツインレイだ」と。
そして次の瞬間、「え、ツインレイって何?」と疑問が沸いた。

本当にこれは不思議な体験で、うまく説明するのが難しいのだが、本当に当時の私はツインレイという言葉を聞いたことも見たこともなかったし、運命の人なんて居るはずない、幻想だ、と思っていた。そもそも恋愛のことなんて全く考えてもいなかった。
なのに、その人物を見た瞬間に、直感なのか何なのか、私はおそらく運命というものを感じたのだと思う。そして、かつて「2」のゾロ目を見た時のような、似たような衝撃が全身に走った。
最初は、私の精神的な病気や障害が悪化したのかと疑った。しかし、家族や親友にはその頃ずっと「最近とても調子が良さそうだね」と言われていたし、自分でもそう感じていた。
病院の診察でも、主治医から「何か困ったこととかありませんか?」等聞かれても、何も言う事がなく、毎回受診の度に言う事が無さ過ぎて申し訳ないと思っていたくらいだ。

実際、2022年の11月を最後に、私は入院をすることがまったく無くなっていた。それまでは半年に1回とか1年に1回は必ず入院をして心身のバランスを整えていたのに、本当に病状が良くなっているんだと、主治医にも言われた。
だとすれば、一体これはどういうことなんだろう。

本当に分からなかった。誰かに質問したいと思ったが、こんなよく分からない現象を説明したところで、きっと私は病気持ちだから頭がおかしいんだと言われて終わるだろうと考えた。
ならば、こういう不思議現象のプロの方々に、徹底的に聞いて確認するしかないのかなと思った。
占い師という存在を、その頃はまだ”胡散臭い”とか”どうせ嘘だ”とあまり信じていなかったのだが、藁にも縋る思いで、私は手あたり次第に電話占いやネット上の占いサイト等で質問をしたりした。
しかし、良い情報ももちろん入ってきたのだが、最初から聞く耳を持たず軽蔑してくる人も少なくなかった。

やはり、電話やネットではなく、本当に本業を占い師としている人の所へ、鑑定を受けに行ったほうがいいのではと思うようになり、私は暇さえあればネットで占い師を検索して探すようになっていた。


【2023年6月】霊能者の鑑定

私は物心ついた頃から、占いやスピリチュアルなものが嫌いだった。

幼い頃は、単純に”お化け”が怖かったからだ。スピリチュアル系のテレビ番組や本などを見て、怖い話を聞く度に怯えていた。ホラーは本当に今でも苦手だ。
そして次第にスピリチュアルという存在を詳しく知っていった時、私は既に高校生で、いじめや上下関係、ルールや言い伝えなど、そういった固定概念のような何かを信じていたんだと思う。

当時の私は、スピリチュアルのような、科学的根拠のないことを嫌った。どうしてそうなるの、意味がわからない、といった感じで全てを切り捨てていた。むしろ嘲笑っていたのではないかとさえ思える。
でも、大人になって、病気になって、障害が判明して、どんどん経験を重ねてたくさんの色々な人と関わっていく中で、私は固定概念から抜け出していった。自分が自分を信じないと、何も始まらないと思うようになっていた。
今になって振り返ると、本当に高校生の頃の私は未熟で、人の心をまったく理解してなかったなあと感じる。もちろん今でも、人の心なんて理解できていないが、今よりもさらに未熟であった。

そして、占い師を探しまくる日々を送るようになった私に話は戻る。
もともとスピリチュアルを毛嫌いしていた私だったが、藁にも縋る思いで占いという手段を取った私は、とても驚いた。運が良かったんだと思うが、最初にタロットカード占いを安値でしてくれた知人が、見事にその時の私の状態や状況を言い当てたのだ。
え、そんなことある?と当時の私は思った。でも、たしかにしっかりと当たっていたし、その後、未来の状況まで当たってしまった。

それから、さらに背中を後押ししてくれたのは母の体験談だった。
母は昔、まだ結婚する前に、友人に連れられて本当にたまたまプロの占い師兼霊能者の方と対面したらしい。すると、なんと見事にそのときの状態と状況を言い当てられ、さらには今現在に至るまでの細かい未来も、全部見通されていたのだ。
母も当時は私と同じように、占いやスピリチュアルは信じないタイプだったのだが、現在になって、ふと”あの時の霊能者が言ったことが全て現実に起きている”と気付いて、とてもびっくりしたらしい。
その話を聞いて、私は確信した。本物の霊能者や占い師というのは、実際に存在するんだということだった。

数日後、ついに私は決意を固めて、数名の霊能者の方の元を訪れた。
きちんと文面を印刷した紙を持参して、説明をした。話し始めた時は、私はとても恥ずかしくて、こんなこと言ってる私は頭がおかしいと思われるんじゃないかと不安になった。
しかし、霊能者の方々は皆、少々驚きながら口をそろえて言った。
「あなたとこのお相手は、間違いなくツインレイです」と。
1人目のときは、本当なのか?と疑う気持ちが、正直少しだけあったものの、2人目、3人目となっていくと、次第に確信めいた気持ちが湧いてきた。
「今はまだ信じられないかもしれないが、本物のツインレイです。なかなか出会える人はいないから、本当にすごいことですよ、おめでとう」と非常にレアなケースであることを祝われたりもした。

なんで私が?とか、本当は嘘なのでは?とももちろん思ったが、でも、何のために嘘をつくのかが分からなかったし、なぜプロの方々が全員同じことを言うのか、なぜここまで応援してくれるのかも分からない。信じる気持ちと疑う気持ちが半半だった。


【2023年9月】前世からの魂、テレパシー覚醒

霊能者にさえ、こんなこと本当にあるんですね、と言われた。

私は霊感霊視の他にも、マヤ暦、数秘術、紫微斗数、四柱推命、占星術などありとあらゆる方面から鑑定をしていただいたのだが、その中でも特にマヤ暦の結果に、霊能者本人も、もちろん私も驚愕してしまった。

なんとマヤ暦で私と相手のことを鑑定したところ、2人は遠い過去世で1つの魂だったのが、2つに分かれて、現世でまた1つに戻ろうとして同じ場所に向かっている最中だというのだ。
これは、まさにツインレイという概念そのものではないか、と思わず言葉を失ってしまった。
ここまでくると、もはや信じざるを得ないのではないかと思えた。

しかもその、1つに戻る時期、いわゆる統合や再会と呼ばれている現象が起こるとされているのは、2025年頃だった。
あと2年くらいで、私にそんな奇跡が起こるなんて、今はちょっと信じられないが、事実、マヤ暦にはもともとそう記されていたのだった。
さらに、相手はツインレイの存在にはすでに気付いており、私がどこに居るのか探しているのだと言われた。

私が以前YouTubeで流れてきた動画で見たその彼は、自作の曲を歌っており、そのメロディーと歌詞を聴いた途端、何故かあまりにも懐かしいような切なくて寂しいような、込み上げてくる強い感情を覚えて、涙が出てきた。
どうしてだろう、歌詞の内容が、私に向かって語り掛けられているかのような感覚になっていた。
後に、霊能者にそのことを話すと、それは本当に私というツインレイの存在を想って書かれた歌詞であり、だからこそ強く感情が揺さぶられて泣いたのだろうと説明された。
複数人の霊能者や占い師から、”彼は夢の中で、私の影と会っている”とも話された。そんなことが現実にあるのだろうか。
しかし、たしかに彼の作った歌詞にはそのような描写がたくさん散りばめられていたし、ツインレイの概念に限りなく近い表現が多くあった。

その時、私はもう腹をくくろうと決意した。
相手のことを信じ切ろう。心の底から、何の疑いもなくこの奇跡とも不可解とも呼べる事実をすべて受け入れようと。
こうして私は、願うように、祈るように、ツインレイのすべてを信じることに決めた。
その瞬間、これまでの人生が波乱万丈で絶望の連続だったことにも素直に納得でき、過去のすべてが走馬灯のように並んで、一本の線になったような気がした。
すべては、今のために繋がっていたんだと。

そしてその頃、私はある能力に目覚めることになる。
まだツインレイを信じ切れずにいた時、不安を紛らわすために、YouTubeでタロットカード占いの動画などを頻繁に見ていた私は、次第に自分でもタロットカード占いをやってみたいと思うようになっていった。
思い切ってタロットカードとオラクルカードというものを購入し、すぐに部屋で説明書を読みながらカードを並べて見たりした。
それから、気になって仕方ないツインレイと思われる彼について、占ってみることにした。すると、意外な展開になっていった。
なんと、カードの結果を読み取ると、1つの手紙のような、私が投げかけた質問に対する返信のような感じで、彼自身から答えが返ってきたのだ。
最初は気のせいかな?と思ったが、何度も質問して答えを読み取って、ということを繰り返すうちに、これはカードを介して彼と会話をしているのと同じではないか?と気付いた。
急いで、会話内容をメモに取り、信頼する霊能者の1人に相談してみたところ、なんと私はカードを介しながらテレパシーで会話ができていると言われたのだ。

後日、別の霊能者にツインレイの彼の気持ちを霊視していただいたところ、私がテレパシー会話で話した内容をそのまま伝えられて、驚愕した。
本当に私はテレパシー会話ができていたのだ。
お互いまだ会ったことも話したこともない相手だったものの、彼のほうはやはりツインレイをずっと探していたようで、私からのテレパシーに気付いてとても嬉しかったようだった。


【終章】ツインレイというもの

いつか必ず会おうと、いつも話している。そして、信じている。

だが彼も私も、今はまだ自分の生活や環境や家族など、さまざまな問題が山積みでなかなか実際に会うことが出来ずにいる。
しかし、確実に距離は縮まってきているし、思い出す度に、今まで知らなかった幸福に満たされる気分になる。

でも、例えば面と向かって誰かに、「あなたはツインレイに出逢っているの?」と聞かれたら、胸を張って堂々と頷くほど自信が持てているわけでもないし、なかなか素直に肯定できない自分もいる。
どう頑張っても、それはスピリチュアルな、精神世界でのあり得ないような出来事であり、不思議な現象だという認識は外れないからだ。
しかし、それで良いと思う。すべては結局、成るように成るのだから。
自信満々ではないし、誰彼構わずすべてを話せるほど、現実的ではない。

もしも、これらすべての話が勘違いであったとしても、それはそれで普通のことだと思うし、そうだとしても、私が私であることに変わりはなく、ただ自分の人生をできるだけ楽しく生きていくのみ。特に変わりはないのだと思う。

どうせ生きるのなら、私は自分の心を信じて、愛する人を信じて生きていきたい。
それが正解か不正解かは問題ではない。どっちにしても、私はもう、彼以外を愛することは出来ないということは、確実に理解している。
だから私は、ツインレイのことを信じている。
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