賢い人は、持っている知識量もさることながら、頭の回転の速さや論点の鋭さなどを持ち合わせていることが多い。こういった賢さには、凄さを感じることがある。
しかし一方で、賢さは凄さを感じさせるが、感動を与えることはあまりないといってよい。たとえば東大やハーバード大学を卒業した人に凄いと思う人はいても、感動する人はあまりいないだろう。むしろ感動は賢さよりも、その人の生き方などに深みを感じたときに、感じることが多い。
また賢さは、天賦の才によるものが否定できないが、深みは努力によって後天的に獲得できる部分が大きい。深みは様々な人生経験を通じていろんな感情を味わい、自分自身と向き合い続けることで紡ぎ出されてくる。
賢さは、社会的な評価や成功をもたらしてくれることが多い。社会的な評価や成功は社会を生きていくうえで大切なものであり、ある程度、評価や成功が得られないと生きにくくなるだろう。
一方、深みを得るには非常に時間がかかり、すごく非効率な作業が必要になるが、感動や自分らしさといったプライスレスな価値を、自分の人生に与えてくれる。
この2つについて優劣を決めるのはあまり意味がないだろう。賢さは凄さを感じさせ、深みは魅力を感じさせてくれるのである。