今ある幸せに気付いていますか

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コラム
今年初めに、直感で「抜いちゃいましょう!」と感じたため、家族の了承を得て速攻でリビングのテレビのコンセントを抜きました。

能登半島地震と航空機事故のニュースはテレビで見た記憶があるので、多分2日の夜か3日ごろだったと思います。

家族それぞれに、今年1年で達成したい目標や、集中して勉強したいことがある状態だったので、すんなり決まりました。

無くなってみると、静か、、、で心地よいです。
HSPの私にとっては、テレビの音はガチャガチャして落ち着かない音。
なのに、惰性でいつもテレビはつけっぱなしになっていました。

今は、一人の時は音量を下げて音楽やラジオを流したり、ユーチューブの音声をイヤホンで聞きながら家事をしたり、音に疲れたら無音で過ごしたり。

無音になると、「今ここ、この瞬間」に意識が集中していきます。
外の車の音や、スズメの鳴き声や、暖かい日差しを感じたり。。。
無音の時間はとても大切ですね。
現代は情報量がとにかく多すぎて疲れるのに、その情報から離れられないという、依存状態かもしれません。

家族との会話も、以前よりさらに活発になりました。
もともと議論好きな家族なので、あーでもないこーでもないと、社会情勢や政治・経済のことから、今興味のあるゲームやファッション、人間関係のことなど自分の考えや意見を話す時間がより濃厚になりました。

私は朝ドラの「ブギウギ」を毎日楽しく視聴していたので、続きは気になりますが、潔くコンセントを抜いてしまったので、あっさり諦めもつきました。


人間は「ある」時には分からない。
無くなってはじめて、その存在が自分にとってどれだけの大きさのものなのかが分かる。
なくなってみないと、気付けない。

祖父が亡くなった時初めて、そう思いました。
亡くなってはじめて、その存在が私にとっての太陽だったと気付く。
いつも、どんな時も、1000%の味方でいてくれた。
深い優しさと思いやりと温かい心で遠くから見守ってくれていた。
それだけでも、私はもう十分幸せな存在だったのです。

友人でもそういう事があります。
学校にいるときよりも、卒業してからの方がその存在が自分にとって大切な人だったのかどうかが分かる。

組織の中に一緒にいたときはノリで仲良くなれたように感じていても、その組織から外れて個人と個人の関係になった時に、心の繋がりはなかったんだなと気付いたり。

心で繋がっている人とは、時空を超えて永遠に繋がっているように思います。
タイミングが合えば、いつでも確かめられる。
会えない期間が続いたとたとしても、心の繋がりは永遠に保たれ、いつでも再開できる。


今一番近くにある太陽のような存在に気付くこと。
いなくなってはじめて大切な存在だったと気づくのはとても切ないです。

今すでにある幸せに気付いていますか?
その存在を大切にしていますか?




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