正しさは、なぜ好かれないのか。

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皆様、シルバーウイークはいかがお過ごしでしょうか。
こないだ梅雨だなんだと騒いでいたなあと思えば、もう秋の頃合い。
一年は本当に早くて、あっという間に感じます。

さて、今回は、自分の人生においても疑問であった「正しさはなぜ好かれないのか」です。(好かれなければいけないわけではありません。)
例えば、職場でこんなことはないでしょうか。
仕事をまじめにやっているのに、不真面目というか適当で人ばかり当てにしてる仕事のできないタイプの人の方がなぜか愛嬌があるとかで好かれていて人受けがいい。
というようなこと。
実は私は社会人経験の中で、あったんですね。そして、周囲を見ていても、他の人を見ていてもあるあるなんですね。

確かに、仕事ができることって大切なんですよ。
当然、できないよりできた方がいいに決まっています。
でも、人受け、という面ではそれが全てではないんですね。
それは、結局職場って、人間関係があるからなんです。
人間関係がほとんどない職場なら、正確さは求められる要素として大きいと思います。
しかし、いろんな人がいる職場においては、ミスをするような人に何だか温かみというか、人間味を覚えてホッとするってこと、ありませんでしょうか。
間違えちゃった~と言っている人の方が憎めないっていうか・・
俺は私は仕事ができる偉いんだゾウ、それと引き換えお前らは・・
みたいな態度って、例え仕事ができても「人間的には」好かれませんよね。
そういった意味では、仕事ができなくてもニコニコしている人間の方が好かれます。

ただ、ただですよ!
これも程度問題です。
仕事がめちゃくちゃ忙しい上司相手に、ただにこにこして「できませんでした~」ってやってたら、そりゃイラつかれますよね。いい年していつまでも可愛い感じを売りに、てへぺろは通用しないんで、その辺はやっぱり。「この人何年やってるんだろう」って思われるような仕事っぷりは、愛嬌でカバーしきれない時が、年をとればとるほど来るのです。
てへぺろの頻度が多ければ、嫌われます。そういった意味では、仕事ができる人は無駄にこの愛嬌全面に出す人のように人に頼ろうとしないので嫌われません。
なので、仕事ができつつ、優しかったり、おっちょこちょいな面もあったりして、決して自分が有能であるということを武器に人を攻撃してはいけないってことになりそう。
見てると残念な人っていましたよ。本当にできる人であるがゆえに、正論を吐きまくり、どうしても、できない人に冷たくしたり意地悪を言ったり攻撃してしまう。でも、そうすると、攻撃されてる人をかわいそうに思ってしまうのが、日本人の「判官びいき」なのではないでしょうか。
損してしまうので、仕事ができて、できない人にイライラしている方、攻撃だけはやめましょう。どうしてもイラつく場合、その余るエネルギーを何とか他の方面に向けて、その人を視野から外しましょう。
究極的にいえば、好かれると確かに仕事はしやすいですが、できない人、適当な人には仕事は任せられません。そもそも目的がおかしい人は職場でも段々扱いにくいと思われるもの。好かれるために仕事をしているわけではないということは理解しておいた方がいいと思います。
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