適性について考える

記事
学び
40年も50年も生きてくれば、誰にでも目に見えない小さな積み重ねがたくさんあるものです。まして60年や70年にもなれば、当然、その積み重ねたものは膨大であるはずです。もちろん個人差があるので誰もがそうだとは言いませんが、そもそも適性とは何でしょうか。私は準備だと思います。ある仕事に出会ったときにどれだけのパフォーマンスを発揮できるかが全てだし、趣味や人間関係でも何でも同じです。あなたがこれまで地道に積み重ねてきたものと絶妙にフィットすれば、ものすごい仕事がいとも簡単にできてしまうのです。とは言っても現実は厳しいもので、実際にはそううまくいかないのが現状でしょう。私は間もなく53歳になりますが、今は書くことに専念しています。これまでいろいろなことに挑戦してきましたが、これまでは挫折や失敗ばかりでした。1月の終わりからここでコラムを書き始め、2月4日からはノベルピアで小説投稿を始めました。つい最近までは物販をやっていたのですが、これも1年で撤退しました。私に才能やセンスや適性があるから書いているのではありません。むしろ私に文才などあろうはずがないと確信しきっているほどです。書いて読んで書き直すという作業自体が楽しいから書いているのです。実際に書いてみるとわかります。今も隣りの部屋から聞こえてくるJ-POPがあまりにもうるさすぎて発狂しそうなのですが、書くことだけが全てなんです。今すぐにでも引っ越したいのですが、もちろんそんな持ち合わせはありません。作詞投稿もしていますが、全くできていないのが現状です。イカレタ騒音野郎を呪い殺したくなる衝動に駆られながらもぶち殺したくなる衝動に駆られながらも書くしかないのです。今の日本は戦争がないくらいしか取り柄がない国です。誰にも頼れないし、誰も信用できないし、人生なかなか良くはなりません。YouTubeの詐欺広告やイカレタ騒音野郎に切れたくなる時もあるでしょう。ただし人に甘い期待は禁物です。いつか誰かが見ていてくれると私は絶対に思いません。期待とは他人ではなく自分にするものです。今は全く人に期待できない時代です。私には人生が何なのかはわかりませんが、クソうるさい隣りの騒音だっていつかはやむものです。永遠には続きません。これまで自分が積み重ねてきたものと仕事が絶妙にかみ合う瞬間にかけるしかないのです。私の人生にはイカレタ騒音野郎しかありませんが、できればこのイカレタ騒音野郎をぶち殺すことなく、もっと静かで平和で豊かな生活を送りたいものです。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す