アカシックレコード : 江頭2:50から考察する人は真理覚醒できるのか?

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あれは忘れもしない2006年暮れのことでした。ネットをしていて
どうやって辿り着いたかは忘れてしまったのですが、
「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」というネット番組を見て、物凄い衝撃を
受けてしまったのです。

「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」は、お笑いタレントの江頭さんが、
テレビではオン・エアー不可能な過激なことや卑猥なことを言う視聴者
参加型のトーク番組で、略して「PPP」と呼ばれていました。
当時YouTubeもまだ知られていない時期で、ネットでお笑いを見るという
こともなかった時代でした。テレビでは放送禁止用語やコンプラインアンスが
あるため自主規制というものが横行していたため、お笑いがつまらなく感じて
きた時期であったため、余計江頭さんの芸風は強烈に感じました。
しかし、インターネット上でも危なくて「ピー音」が入るような発言を
する部分は、アシスタントを務める女優の早川亜希さんが、
時に体を張って止めたり、時に笛をピーピー吹いて静止しようと試みまして、
そこがまた笑いのツボに入る部分でもありました。

動画は初期の頃のPPP
今でこそ、江頭さんはユーチューバーとして大活躍してまして、
江頭さん初のYouTubeチャンネル「エガちゃんねる」は、チャンネル
登録者数が230万人を超え、登録者数200万人達成は国内では、
嵐「ARASHI」に次ぐ2位のスピードだそうで、かつては
「寝たくない男性芸能人ランキング」で毎年ランクインしていた頃と
比べての人気は雲泥の差です。「PPP」では、必ず上半身裸で下半身は
黒いスパッツで登場し、得意のギャグ「取って、入れて、出す」や
「三点倒立のシャチホコ立ち」、チャコールのスパッツに手を突っ込み
「ドーン」と叫ぶと同時に股間付近から前上方に突き出すおなじみの芸で
観客を沸かせていました。特に、盛り上がってくると自分の股間を露わにし
女性も混じる観客に見せつけるという禁断の芸も披露していました。

僕は、あまりにも強烈で新鮮なお笑いだったものですから
とても惹きつけられ、「PPP」の収録場所・渋谷スペイン坂スタジオまで
足を運ぶことにしました。ライブ収録では、江頭さんはサービス精神が
旺盛で、股間の中身もわざわざ生で拝見させていただきましたし、
オンエアーではカットされるような危なすぎる芸能界の裏話も
聴かせていただきました。その頃はまだ、観客がまばらにしかいなくて、
何回も収録を見に行ってたので、江頭さんは僕の顔を覚えてくれたらしく、
視聴者が参加できるコーナーでは、スタジオの中に入れてくれたことも
ありました。ところが、僕は調子に乗ってしまって、直接何か番組に
意見したいと思い、アシスタントの早川亜希ブログのコメント欄に
僕が思いついた「江頭2:50のち〇ぽが出るテレビ」など一発ギャグを
書き込みようになりました。今思うと影響を受け過ぎてたと思います。

その書き込みをおそらく江頭さん本人かスタッフの方が見て、次の回の
収録を見に行った時に、あきらかに僕に敵意を持っていることが
分かりました。素人のくせに調子に乗んなよと思ったのでしょう。
嫌われてしまったので、もう収録を見に行くのは止めようと思ったのですが、
最後に何かひとつ印象に残ることをしたいと思いまして、その次の次の
回にも行きました。

当時、番組のラストで観客に江頭さんに関する問題を○×で答えてもらう
「江頭解剖○×クイズ」というのがありまして、番組が始まる前に観客全員に
〇と×の札を持たせるのですが、江頭さんの指示があったのか
スタッフの方は、僕にだけ何も札を持たせてくれませんでした。
ところが、僕はヒーラーでして、こういうくだらない時だけ予知能力が
発揮するようで、収録の朝、ひらめきこうなることが予想できたので、
△(三角)の札を自作して持って行ったのです。そして、番組収録は進み、
江頭解剖○[×]クイズが始まって、いざ観客全員が〇か×の札を上げるという
ときに、僕だけ△の札を上げました。江頭さんは、それをチラッと見て、
頭に血が上ってしまった様子で、顔は真っ赤になってました。
さすがに、それ以降は収録を見に行きづらくなったのですが、その後、
驚いたことに江頭さんの芸風が変わってしまいました。「ぷっすま」など
テレビ番組中に祈りを捧げるようになったり、神と交信するしぐさをしたり、
最後に悟りの境地に達したかのように神妙な面持ちで合掌してから
退場するようになったのでした。芸風が何か昇華したような印象でした。
この時の様子はブログ「剛 しっかりしなさい!伝説の男」で検索ください。
(当時の動画は残ってなかったので、ブログでご覧ください。)

もしかしたら、あの△の札が、陰では勉強家で天才肌の江頭さんには、
お釈迦様が説いた「中道」や孔子の「論語」に出てくる「中庸の徳」という
哲学的な捉え方となって、芸風が少し変わってしまったのではないかなと
今でも僕は思っております。考えすぎかもしれませんが・・・

ちなみに、「中道」や「中庸」というのは、偏った考え方や、極端な行動を
とることを否定し、調和のとれている状態のことで、常に平常心を保つことの
大切さを説くものであります。

さて、ほとんど僕の思い出話になってしまいましたが、本題である
「人は真理覚醒できるのか」についてアカシックレコード情報を
見ていきたいと思います。

2000.10.27・拙問天答から
問「肉体人間が真理に目覚めることは至難のことか?」
答「悟りの状態にはすぐ入れるのだ。普通の人間は全く違った見方を
  している為だ。角度を変えて見れば当たり前のことだ」

2002.3.29・拙問天答から
問「人間が真理に至る意味は宇宙にとって重要なことであるか?」
答「たいしたことではない。どうでも良き小さなこと」

2002.5.30・拙問天答から
問「悟るというのは何を悟りどのような心的状態に至るのか?」
答「悟るとは『無にして有が出来る』ということを知ることである。
  一つ一つこだわっていては何も打開できないのだ。宇宙に同調し
  自然体となれば分かることである」

それから、関連事項としてのアカシックレコード情報も記しておきます。

2001.5.11・拙問天答から
問「狂気とは何なのか?」
答「狂気状態とは別世界の状態のことである。狂気者とは別世界に
  選ばれた者である。別宇宙に在る別思考世界からの影響現象と
  云える」

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