自立できなかった大人に巣食う【魔の2歳児】を克服する

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コラム
“魔の2歳児”というのは、第一次反抗期を迎えた子供の成長の過程を表しますが、この時期の対応を親が誤ってしまい、それが解決されなかった場合、大人になっても自立への壁を乗り越えられずに自分らしい人生を送れなくなってしまいます。

この対応に正解はなくとも、共通しているのは「子供の自我を尊重し新しい挑戦を見守る」というものです。この時期は親が子供をコントロールしてしまいがちなのをひたすら我慢し、子供の失敗も倫理的最低ライン以外の何もかもを受け入れるという、まさに“無償の愛”を試されているわけですよね。

親も当然人間ですから、我慢できず感情的にぶち当たってしまうこともきっとあるのでしょう。私自身、親という立場になったことがない(なる予定もない)ので、偉そうなことは言えないのですが、私自身の親が毒親であり何分精神的にかなり幼いので、そういう人たちがいるのだということも認めなくてはなりません。

感情的に振る舞っても反省したり子供に謝ることができるのなら、私は毒親だとは思いませんし、親の愛情を子供がちゃんと認識しているのなら「私は毒親なのかも?」と心配する必要はないと思います。そもそも本当に毒親ならば自身をそう疑うことすらしないのです。

ただ、私や他の毒親育ちの方々のように、自立心を育むはずのイヤイヤ期に受け入れてもらえなかったり対応を間違ったまま思春期を迎えてしまうと、その反抗心は復讐心に変わり子供の人生を一生蝕み続けることになります。
周りの大人たちは自身をもう“一人の個人”とみなしますが、本人の潜在意識では“自立したかったのにできなかった子供”のままで、イヤイヤ期が形を変えて具現化し始めます。内に衝動が向かえば希死念慮や鬱になり外に衝動が向かえば非行や犯罪に手を染めたりしてしまうのです。

自立への葛藤を親に認めてほしかったのに

という無念さが、問題行動を起こす引き金を引き続けているのですよね。外側に衝動を向ける人は社会的に寛容できないライン(炎上・犯罪行動)まで来てしまう。内側に向ける人は命を断ってしまったり引きこもりになってしまう。そしてそういう人たちが増えると集合無意識として、

赤ちゃんのような無垢な存在なら愛されるけれど、思い通りにならない大人は愛されない

という概念が大きくなります。“賢く悟った者より愚かでも彼らの言う通りに動く者の方がいい”のです。
仮に皆さんの親が毒親でなくても、政治の在り方やどんな人が有名になり人気が出るのか(メディアゴリ押しも含む)の傾向を少しでも考えれば思い当たる節があるのではと思います。

国そのものが“毒親化”しているのです。それは今に始まったことではありません。日本はずっと昔からそうだったのです。祖先が毒親でなければ祖父母も両親も毒親にはならないのですから。
「子供を産みたくない」という人たちの中には、経済的な問題だけでなく、「自身と同じような人生を歩ませたくない」という人もいるはずです。親に支配されるしかなかった子供が、自身の子供をどうのびのびと育てられるのでしょうか。もちろんそのカルマを自覚し違う育て方に挑戦する人もいるでしょうが、その割合はごくわずかです。

私自身の中にも“イヤイヤ期”がずっと蔓延っているのを薄々は自覚していました。しかし「そのイヤイヤ期をどうコントロールするか」ということしか対策として浮かび上がってきませんでした。過去に出会ったカウンセラーやセラピストたちもそういう対処しかしてこなかったので、結局私は彼らにも反発してしまうということを繰り返しました。

会社に雇用されても、その中で自主性を持った行動を取り、それが上司の癇に障れば“問題児”として排除され、不当解雇されるなどのトラブルも繰り返しました。(組織外の人間からは評判が良かった)
「自分で考えて行動しろ」と言いつつも、それが気に入らなければ排除。社会人になるとそういう理不尽さに可能性を潰されてきた人たちも多いのではないでしょうか。

そしてその繰り返しの中でいつまでも自己肯定感や自立心が育たず、潜在意識は「何もできないでいた方が愛してくれるんじゃないの」と誤解したまま自分で自分を追い詰めていくことになります。
ですから顕在意識は自立したくても潜在意識がイヤイヤ期を頑なに続けていこうとするのです。

ここまで来てしまったら、【自分が自分の親になって子育てをやり直す他ない】のです。もちろん成熟し信頼の置けるカウンセラーやセラピストなど頼れる人が周りにいるなら支援してもらうのも1つの手ですが、そういう人がいない、あるいは誰も信用できないという人もいます。誰も頼れないなら自身が納得するまで自分で自分の親代わりを務める他ありません。少しでも「頼ってもいいかな」と思えるまでは。
おそらくその頑なさもイヤイヤ期の1つなんだろうと思うからです。

イヤイヤ期の反発がいつまで続くかは分かりません。周りの大人が自分を“一人前の個人”だとみなして接してくる現実も変わりませんし、やりたいことをやり続けるにはお金も時間も必要になって来ますから、いずれ嫌なこともやらざるを得なくなります。その両立はとても難しいですが、イヤイヤ期に反発し続けられ自分で自分を追い詰めるこれからの人生を考えると、少しずつでも手をつけていったほうが自身のためにも周りのためにもなるのかなと私は考えます。

自分の中に「魔の2歳児がいる」と意識するだけでも変わってくるとは思います。今までは存在を無視していたのだから現実に投影させていたけれど、気付いてあげれば反発も少なくなるかもしれません。




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