睡蓮の視て来た世界・・・5

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睡蓮(すいれん)のブログに来ていただき、本日もありがとうございます。

前回、生き方についてお話ししましたね。
今回も少しお話していきましょう。

小さなことでも幸せを見つける。
ポジティブにものを考える癖をつける、簡単そうで難しいかもですね。

例えば、不意に転んでけがをしてしまった。
「なんで、こんな痛い目に、、」と思いますね。
でも、本当なら取り返しのつかない事故だったかもしれない。
それなら、この程度でよかった!と思えるのは対面鑑定でわかるのですが、守護霊様から守っていただいていることが多いのです。

私自身も身の上については幼少期から大人になるまでは決して幸せな人生を送ってきてはいませんが、人生の大切な時に救いになるピンポイントがあった気がします。

まずは前回で話した、育ててくれた祖父の存在。
そして孤独だった私に初めて宿った命です。私は若すぎて何も分からないままワンオペ育児でした。
夫だった人はいい人でしたが、ギャンブル依存症がどうしても治らず、体も弱く、今でいうイクメンではなかったです。
気が付けば、私が一家の大黒柱になって必死に働いていました。

それでも私のもとに生まれてきてくれた娘。
とても小さくて、かわいくて、すべてを投げ打ってもこの子の変わるものは無いと。
娘の寝顔が私の安定剤になってくれてました。
そして生きる支えにもなってくれたのは確かです。

どんなに貧乏(あれは極貧ですね・・・笑)であっても、この子のためにたくましく生きて行かなきゃ。
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余談ですが、
高校時代、魚屋さんでも3年バイトをしてました。
とても過酷でしたね。
店主が女性で荒々しい人でした。数十年経った今でも同じ市場の人がよく覚えてくれていて「よくあの店でバイトしてたなんて、、すごいよね」と言われます。
魚が売れないと凍った魚をぶつけられ怒鳴られます。
年末はバイトを増やすために友達を誘っていくのですが、みんな2日と持ちません、、
「こんなバイトやってられない」と。
それでもお小遣いをためる程度の友達と違って、私は生きて学校を卒業するためなら頑張れたのだと思います。

話は戻りますが、子供が小さいとき夫は働かず、無収入なのにギャンブル依存症が治らず、、
悪阻が強く辛い状態でしたが時々隠れて戻しては、仕事する毎日。
美容室で息子が生まれる4日前まで働いていました。

そして、魚の市場は出せない魚をもらって捌いたり、野菜を作ったりして乗り切った数年間でした。

今にして思えばすごく健康的な暮らしですね。
あの頃、苦労も多かったかもしれないけど、調理も好きだったし、娘と早めに一緒に布団に入り映画を見るのが何よりも幸せでした。

そう、子供たちがいてくれたから、色んなことがあっても乗り越えてこれた。
本当に感謝ですね。

人に裏切られた事もありました。
人間不信に陥った時も、もちろんありますよ。

私が今思う事は考え方や生き方の違いで過ぎ去った人なのだなと思います。
ご縁が無いと思うと気持ちや思い、軽くもなります。

鑑定やカウンセリングで出会えた方々、皆様何かのご縁があっての事なので、一期一会ではなくて千載一遇の大切な出会いを大切に今日も生きております。

本日もブログを最後まで読んで頂きありがとうございます。


睡蓮(すいれん)
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