自死した友人の命日(10年が経ち、話伝えたい思い)

記事
コラム
こんばんは✿
梅雨時期になり、毎日皆さま体調どうでしょうか?
毎日の生活や、持病がある方、心がお疲れの方、この時期は
心身体調を崩されたり、不調になりやすいかなと思います。

雨で、憂鬱さが増していませんか。
お一人で、辛い思い、抱え込んで、身動きが出来なくなってしまっている方は
いませんか?
崩れないように、必死に気張っていらっしゃる方はいませんか?

一昨日の、6月13日、友人の10年目の命日を迎えました。
一昨日は、友人に思いを馳せながらゆっくりと1日過ごしました。

今日は、10年前の日の事を、自死した友人の事にふれながら、シェアブログにさせていただきたいと思います。
※内容が、せきららに記載してあるので、辛くなった方は、読むの加減してくださいね
10年前のその訃報の知らせは突然やってきました。
夕方、泣きじゃくりながら電話をかけてきた姉。
ただごとではないなとは感じたけど、なかなか泣きじゃくったまま
話しだそうとしない姉に「どうしたの?何があったの」と聞いたら、

一気に、「○○さんが朝、亡くなった!自殺、首つりだったの」と。
話し終えると、また嗚咽が止まらない姉。

友人は、義兄の高校時代からの親友で、姉と義兄は、学生の時から交際していたので、友人の方とも、家族ぐるみで、仲良く長年させてもらっていました。

突然すぎる予想できない訃報に、何が何だか、何を姉は言ってるのだろうと。
衝撃過ぎて携帯電話を落としてしまい。状況が理解できた途端に、
涙が溢れてきて。電話の内容を隣で聞いていた母も、友人の名前を聞いた途端に、泣きじゃくっていました。

学生の時からの印象は、笑顔の優しい、ムードメーカーの友人Tさんです。
思い出すのは、笑顔とおちゃめなことばかり(*^_^*)
お酒が好きで、義兄と呑んでは、愉快にしていました。

転職した職場で、事態は起きました。
工場でもある、職場の自分のデスク近くの、梁に、ロープを下げて、
自死(縊死)しました。
前日に、一緒に住む、ご両親に、「仕事の夜勤当番だからと、仕事あるからと告げて職場に行ってくるから」と伝えて、それが最期の交わした言葉となりました。
登山が好きで、夏山に登ったり、学生の時は、ワンダーフォーゲル部に入っていたくらい。
登山は、ロープ使いをしますが、それが、その当日に、それを活かすことにしてしまったとは・・・
夜に自死(縊死)し、数時間、発見されるまで、時間がたっていました。
翌朝、出勤した職員が第一発見でした。
見つけた方の、ショックは、想像を絶します。

解けないように、登山用のロープ縛りをしていて、事件ではなく、自死との警察の断定でした。

義兄には、Tさんのご両親から連絡が入って、直ぐに、友人宅に姉も後から子供たちと向かい行きました。
姉たちが到着すると、義理兄が友人Tさんの亡骸を、
「起きろよ、何、勝ってに一人で逝ってんだよ。何してんだよ!」と
何度も何度も、泣き叫びながら、Tさんの胸ぐらをつかみながら、怒鳴っていて。
その後は、顔を何度も何度も、平手で叩きながら
「早く起きろよ!!」と叫んでいたと姉から電話の際に、聞きました。

側で見ていた、Tさんのご両親や姉、子供達は、義兄の泣きじゃくる様子に、
誰も、声をかけることができなかったといいます。
それだけ、普段冷静な、義兄が、感情を、露わにしてる姿に、誰も義兄とTさんの関係の空気に踏み込めないものを感じていたのかと思います。

さすがに、顔を叩き続けるのを見ていた、お母さまから
「ごめんね。でも、あの子も、辛い思いしながら逝ったのだから
そのくらいで、勘弁してやって欲しい」と。

我に返った義兄は、現実を直視せざる負えなくなり、嗚咽が部屋に響き渡っていたそうです。
私は、お通夜の日に、伺いましたが、話は聞いていましたが、変わり果てた
Tさんに、絶句した後「辛かったのですね。安らかにどうぞ安らかに眠ってください」とやっと絞りだしながら、声を掛けました。

お通夜が始まる直前、土砂降りの大雨が降り始め、式の間中、大雨が降っていました。
義兄さんや、Tさんを囲む学生時代からの義兄のお友達方は、皆仲良くて、結集が良く、思い出話したりと、なるべく、おちゃめな
Tさんが引き立つように、笑いあったりと、祭壇で、語り合って。
でも、悲しみの方が強いから、笑いながらも、男泣きしながらで。

数年ぶりに、友人の方々ともお会いしたり、ご挨拶したりと。
なかなか会えていなかったみんなの事を、きっと繋ぎ導いてくれたのかなと。

人生で、自死の方のお通夜参列は、2回目です。
1回目は、高校1年生の5月。
中学の時の、部活の1つ上の先輩が自宅で自死されて、優しくて、とても素敵な先輩でした。その妹さんとは、中3の時に同じクラスでした。
お通夜に参列した際に、先輩の事を発見したのは妹さん。と聞きました。

祭壇の先輩と列席している妹さん、ご両親の悲痛な姿。
とても悲しいのが思い出として残っています。
あの時は、まだ高校生で、自死への思いが分かりかねていましたが、
社会人となった今の、友人Tさんの死。

きっと、笑顔の中にも、一人で、抱えたり、悩んだりしていたのだろうなと。
ふっと、生きているのが、気力がもげてしまったのかなと姉とも後日話していました。

でも、そのことは、義兄には言えません。
義兄は、自死する1週間前にTさんから
「飲もうか」とお誘いの連絡をもらっていたけど、その週は、仕事で予定がつかずに、また次回と返事したこと。

「もっと話聞いてやればよかった」
「親友なのに、何にも力になれなかった」

などなど、自死後、義兄は、自分を責めて責めて
元々お酒が好きですが、一気に浴びるようにお酒を飲むようになりました。

姉宅は、Tさんのご両親とも仲が良くて、姪は、毎年、幼稚園の頃から、夏休みは、Tさんのお宅に泊まりに行くのが恒例行事でした。
とても優しくて、面倒見のいいTさんのこと、姪は大好きでした。

あえての自死の場所に職場を選んだTさん。
胸に秘めた強い思いを、感じました。

その年の前後は、父が急死して、親族が相次いで亡くなり、6月にTさん。
10月に母を看取り。大切な方のとのお別れが相次いだ時期でした。

その当時、小学2年生だった姪は、どんどん自分のもとから大切な、好きな人達がいなくなってしまうのが耐えられなくて、義兄、姉もTさんの一件で、崩れて、姉家族自体、大きく崩れてしまう期間が続きました。

私も、死別続いた悲しさがありましたが、崩れた姉家族の家庭をサポートしていくのが、大変でした。

時薬ともありますが、数年たち、姉家族も死別の思いが、少しずつ緩和されてきました。

Tさんの事を、その時折、思い出し話すことで、「忘れていないよ!!」という合図でもきっとありますし、話すことで、遺されたものも、気持ちが整理されていくのかなと、この10年の中で気づけました。

赤裸々に、あの当時の事を、書きましたが、私にとっても、人にはなかなか
話せない思いでしたし、何より、1番伝えたいのが、

自死を選ぶ人の思いも、遺された方の思いも、みんなみんな悪くない。

Tさんも、転職して慣れない環境の中、体制が過酷な環境の中、勤務を続けてきて、同僚には、優しく、他の方のフォローや責務を担って。

頑張って、頑張って、自分で何とかしよう
何とか、解決しようともがいてきていたかもしれない。

職場の体制や、悩んでいるのは、ご両親も、元気がない様子は心配していたとご自宅に伺った際に、教えてくださいました。

だから、ご両親も、ずいぶんご自分たちを責めて、会社に対しての憤り等感じていて。
悔しさ、やるせなさ、悲しさ、色んな感情が交錯していました。

ふっとふっと、、居なくなりたい。逃れたい。解放されたい。
ただただ疲れた・・・

最初は、何となくの悩みだったものが、いつの間にか、ご自分の頭も、心も、
気持ちが支配されて、それしか考えられなくて、ふっとふっと気力が、もぎれてしまったのでしょう。

どうか、どうか、友人や家族、周りの方に、打ち明けられなかったら

ココナラは、親身に聞いてくださる出品者が大勢いらっしゃいます✿

どうかどうか、自分を一人にしないで。
声に出すって、気力も、勇気も使いますよね

ご自分では、こんなこと誰に話てもいいのかとためらい。
辛いけど、ご自分で感情に蓋をしてしまいます。

動けなくなる前に、感情が、吐き出せる余力が残っているうちに
辛い気持ちを吐き出して欲しいです。

ふっとふっと力が抜けた時に。

梅雨時期でもあり、Tさんの命日もあり、赤裸々にかきました。
一人じゃないよ!というサインを伝えたくて。

ここまで、お読み下さりありがとうございます。
Tさんが教えてくれた、命の重みや、笑顔の奥にある心情。
人が人を思う気持ちを。
身をもって、みんなに教えてくれたTさん。

改めて、シェアさせていただけたこと、この場を借りて感謝です。

みんなみんな毎日、お疲れ様です。
ご自分が壊れてしまわぬように☘☘

愛を込めて✿

ぐり 




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