婦人科検診に行こう!✿友人が遺したメッセージ

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コラム
こんにちは(*^_^*)
今日は、住んでいる所は、日中は快晴の夏日でした。

ラジオから、子宮がん検診は行きましたか?というアナウンスが流れてきました。

去年の5月下旬に38歳の若さで、友人が3人のお子さんを残して
子宮頸がんの闘病の末、旅立ちました。

がん告知を受けた日から亡くなった当日まで交流してきたことを皆さんにシェアしたいと思います。

ところで、
女性の方、年に1回の、婦人科検診に行かれていますか?

以前働いていた職場での同僚で、偶然数年ぶりに転職したところで、再会しました。
再会した時は、2人とも抱き合って、「一緒だから心強いね」って喜んで。
また、休みの日にご飯を食べに行ったりとプライベートでも仲良くしていました。
友人に異変が出始めたのは、翌年の夏。「なんかね、膀胱炎みたいなのかな?
下腹部がしくしく痛んでさ、トイレのとき辛いんだよね。」

その当時の友人は、介護相談員をしていて、メインが一人だったから、
めちゃめちゃ多忙で、ある日、「その後どう?」と聞いたら
「病院行く暇ないから、市販薬でやり過ごしていると」

そのうち、「なんかね今月、生理がだらだらなかなか終わらなくて。何だろう」っと心配な顔つきで聞いてくるから

「婦人科検診受けてる?」と聞き返したら「一番下産んでから4年受けてないわ」
私が、それじゃ余計に婦人科いっておいでと答えました。

友人の話を聞いた後、生理が規則正しい周期で終わるのに、2週間以上もだらだら、下腹部も痛み強くなったと。もしかして、もしかするととガンかも・・・経験上、嫌な胸騒ぎがありました。

その1週間後、会う約束していた日、友人から、「近くの婦人科のクリニックいったら、すぐに大きなところに行くようにって紹介されたの。がんだったら、悪いものだったらどうしよう。今日これから、病院行かないとなの。一人なんだよ。どうしよう」と。「この2日家族で泣きっぱなしだったよ」

朝、電話口の友人は、声が震えていて。落ち着かせながら、診察終わったら連絡ちょうだい!と言って送りだしました。

数時間後にかかってきた電話「やっぱり子宮頸がん。それも進んでいるって」
「がん告知受けたよ。やっぱりがんだった!」
この時は、病状を悟った声になっていました。
病院近くの職場だったご主人がすぐに知らせを聞いて迎えにくるまで、その間ずっと2人で話していて。

友人からふと出た言葉が「私昔から、長生きできないって感じていたんだ。だからね、再婚するときは、絶対子供を大切にしてくれる人って思っていたの。
○○ちゃん(私の名前)、私再婚のパパ選び、大当たりしたよ!!
この人なら、子供たち託して死んでいけるよ」と泣きながら話してくれました。

友人の直感通り。

その2週間後に入院となって。子供たち、家族大好きな友人は、
コロナで面会が禁止なのに耐えられないと、入院を最初拒否してしまって。
ご主人やお子さん、病院スタッフから説得をされて、ようやく入院することになりました。

突然のがん告知。しかも進行がんで、子宮を全部摘出する手術が控えていて。
女性としてのシンボル「子宮」それが無くなるショックは図りしれません。
実際に、手術をしたら、骨盤までがんが広がっていて・・・

今思えば、頻発していた膀胱炎は、がんの症状だったのかなと。予兆だったんだと気づきました!

子宮と周りの臓器を切除する広範囲の手術。術後の傷の写真を送ってくれたり、放射線治療を頑張ると、頑張るラインが来たり♡
毎日のlineが待ち遠しかった。
子宮がん手術の後は、おしっこが自力で出しずらくなる手術の後遺症があります。友人もやっぱり、自力排尿が出来る練習をして、それがやり方の手技がみにつかないと、なかなか退院オッケイにならず。

毎日、苦戦してました。

やっと1か月半の入院生活から、退院して、その日の喜び爆発メールは、
嬉しさにあふれていました。

退院後、お子さんたちの好きな、卵焼きをつくったと写メがきたり。
日常の今まで何気ないことが、とっておきの宝物、特別の時間になる。

喜んでいた矢先、3か月後に、リンパ腺にがんが再発。
再発してからは、抗がん剤治療のまた再入院。
友人の誕生日もクリスマス、お正月も病院の中で過ごして。
送られてくるlineは、気持ちがふさぎこんだ内容ばかりでとても気がかりでした。でも、大部屋だったから、病室の方々が励ましてくれたと。

がんセンターに、再発後は入院していたので、がん仲間さんの存在は大きなものだったと思います。

1月下旬に退院して、また今度はすぐに、首、脳、頭、肺、肝臓にがんが転移していて、「医者から、もう積極的な治療は望めない。だから、最期過ごすところをご家族で話しあっておいてくださいといわれたの」と
夜遅くに、再再発の連絡をもらいました。
月単位の余命宣告。

そんな中でも、家族との時間を大切にしていて。


亡くなった5月。
ゴールデンウイーク中は、一番下の子の6歳の誕生日。
得意な似顔絵を描いて、子供にプレゼント。
家族の、みんなで笑っている家族写真✿

だんだんと日ごとに、がんの痛みだけではなくて、
遺していく家族のこと、死んだらどうなるの?死ぬ時って?と
スピリチュアルな痛みも死期が近い人が経験する痛み。

眠れない日々が続き、家族が寝静まってから、こっそり電話がかかってきて。

「私は、もうすぐ死ぬの。私は、家族に何ができるんだろう」
と泣いて話はじめて。
「何がしたい?」って私が聞いたら
友人は「家族の前では笑ったママでいたい!似顔絵書きたい!」

それなら分かった!!
家族の前では、笑顔で過ごすのが務めで、体調見ながら似顔絵をお世話になった人に描いてみたらどう?その分、私の前では、気持ちをごまかさずに
ちゃんと吐き出すんだよ。と2人で秘密の約束をしました。

その日から、がんの痛みのある中で、いくつもの似顔絵を描いてプレゼントして。
ブログの似顔絵も、友人が描いてくれたものです(*^_^*)

5月下旬。
その日は、本当だったら、午後に会いにいく約束をしていたのが、
当日の朝、ご主人からメールをもらい

「昨夜から意識が落ちてきて、状態がかなり危ないから、まだかろうじて話せる午前中に来てもらえないだろうか」と連絡をもらいました。

その日の午前中の予定をキャンセルして、すぐに友人宅に向かいました。

数日前に、会いにいくよってlineしたら、「死んでなかったら待ってる♡」
「待ってて!!絶対に顔みるんだから。会うんだから」とやりとりしていたから

余計に、待っていてくれた友人がとても愛おしかったです。
ベットで息荒い友人は、声をかけると、かすれた声で、何度もありがとう!と言ってくれて。
いつもは抗がん剤の副作用で脱毛した髪の毛は、ウイッグを被っていたけど、坊主頭の友人。
よく辛い治療に耐えてきたんだなと、浮腫んだ体をさすりながら、旅立ちが近いことを感じていました。

帰り際、看病で疲れ切って仮眠をとっているご主人の代わりに、ご主人の妹さんに「お迎えが近いから。どうか、みんなで、その時がきたら、いっぱい話かけて、いっぱい抱きしめて、体さすってあげて欲しいです」と託しました。

帰宅して、3時間後、急に土砂降りの雨が、ザーと音を立てて降り始めて、もしかして。そろそろかと直感がきたら

その後、雨が上がって、晴れ間が出た時にご主人の妹さんからメールがきて
「〇〇ちゃん(友人の名前)午後4時20分にみんなで体いっぱい触って声かけて、みんなが見守る中旅立ちました。」と連絡をもらいました。

後からご主人に聞いたら、家族以外では、最期にあったのが私だったと。
友人の旅立ちに、最期の声が聴けて本当に待っていてくれたことに心から感謝です。ありがとうって言いたい。

友人は、亡くなる2週間前に闘病ブログを投稿し始めて、読んでほしいと送られてきました。
そこには、家族への思いや、がん告知を受けた日のこと、闘病のこと。
ありのままの言葉で綴られていました。

亡くなる3日前の最後の投稿の題名は
『わたしのセカンドステージ!ゴーストワールド』
亡くなった後の想像する世界について書いてあって、
最後には
どうか
こんなママいたな。
こんな妻いたな。
こんな友達いたな。
こんな同僚いたな。
こんなママともいたな。
こんな娘いたな。

これだけでもいいから忘れないでいて欲しい。

笑顔がとっても素敵で、優しくチャーミングな友人。
愛情深く、遺していくご主人、お子さんのことを思いながら、
最期まで自分らしく過ごしていた友人。
とても立派でした☘

今では、ご主人と時折ZOOMで家族ぐるみのおしゃべり会をしたり、交流が友人亡き後も続いています。
ご主人は、やっぱり、一人で運転中気が緩むと、泣けてきちゃうと、辛さを話してくれます。

病気になると、本人も家族にとっても葛藤が大きく、生活もガラリと変わってしまいます。


婦人科。女性の方、内診台に乗るのいやですよね。
検診いくの、ためらいがちになりますよね。

早期に見つかれば、助かる命。

友人からも

『女性のみなさん、どうか年1回の婦人科検診。子宮頸がん、卵巣がん検診受けに行ってほしい!』

これが、友人の遺言です!!

〇女性の皆さん、子宮頸がん、婦人科検診に行って欲しいです

〇男性の皆さん、奥様、大事なパートナーに婦人科検診すすめてみて欲しいです

あたりまえの日常が、かけがえのない日常と変わる前に。








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