望まない事象が起こるのは「恐れ」の感情を解放する為

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学び
こんにちは。
光の翼 木村 心美です。

いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪


癒えていない心の傷が
引き寄せるのは
負の感情を伴う事象です。

その負の感情を感じることによって
それ相応の事象を体験して
無意識内の記憶を相殺します。

心の傷のない
傷が癒えた状態で引き寄せるのは、

幸せで
満たされるような
「私」が満足できる結果です。

過去の
心の傷すべてが癒えた
「私」は本質の自己。

善も悪も
ポジティブもネガティブも
光も闇も超越し

すべてを統合した
ハイヤーセルフとも一体です。

「私」の放つエネルギーが
自身を取り巻く状況を
現象化します。

「私」の無意識内に
マイナスの傷がないのであれば

負の感情を感じて
追体験する必要がないので

不本意な負の感情が
現れるような事象は起こりません。

「私」の中に癒やされるべく
傷を抱えているから、

その古傷が疼くような現象を
追体験させられています。

感じている感情は
目の前の人や状況が発端となって
引き起こしてくれていますが、

無意識下に
そのエネルギーがあるからこそ

「私」の内側から湧き上がり
その負のエネルギーを
感じているといえます。

これまでは
「私」以外の他者に対して

「私」を不快にするような言動を
慎んでもらうように
他者をコントロールしようと
試みてきました。

他者に
謙虚で行儀よく
言動を
慎んでもらうことによって

「私」が
不快な感情を感じるような機会を
回避してきた為に

まったくといっていいほど
内面の浄化が進行していません。

あるがままの
「他者」を許せないので

当然ながら
あるがままの「私」も
許すことができません。

「私」たちは

光であると同時に
闇でもあります。

それなのに
光に属する感情だけを感じたり、

闇を回避しながら
光に属する事象や
出来事だけを
体験することなど
不可能で
矛盾に満ちています。

光の体験だけでなく
闇も体験する事によって

分離意識は
統合意識に向かいます。

内側から
湧き上がるエネルギーが

愛であろうと
恐れだろうと
どちらでもよく

2極を同じように受け入れ
感じて体験していきます。

「豊かさ」を体験したいのなら
「貧しさ」も体験します。

「成功」を体験したいのなら
「失敗」も体験します。

「ある」を体験したいのなら
「ない」も体験します。

実際に
その体験をすることによって

体験を通して
負のエネルギーが
浄化されていきます。

その都度
自然に湧き上がる感情も

脳によって
ポジティブに創作しないで
そのままを味わいます。

ポジティブもネガティブも
どちらも大切な感情です。

どちらか片方だけが良くて
もう片方がダメという

善悪の観念が
一方通行の
分離の袋小路に
追い込むことになります。

二元性のどちらか一方を
強く恐れていると

両極の感情を感じることすらも
難しくなります。

外堀からいくら
多くの物質を
充てがい続けても

実際に
危機迫る状況を
何度も回避しても

「私」たちは
本来はエネルギーなので
放つエネルギーが
変わっていないならば、

後にエネルギーが
危機を引き寄せる事となり

ムダな抵抗で
何の効力もないことに
いずれは
気づいていきます。

それほどまで
「私」たちのエネルギーが
引き寄せるパワーは強力です。

外堀から充てがって
対策を講じるよりも

内側の傷を癒やして
エネルギーそのものを浄化して
整える方が早く
はるかに確実です。

その方法で上手くいった
成功体験がないから
難しく感じている

…という
ただそれだけです。

とくに
「恐れ」のエネルギーは
主に経済面に顕著に現れます。

この分離領域では
お金が最も代表的な
人々の「恐れ」の象徴だからです。

「恐れ」のない者は、

所持金残高が
多かろうと少なかろうと
どちらでもよく
気にもしていません。

人が最も恐れるのが
「ない」「不足感」です。

近頃はワンコの散歩ぐらいしか
外出しませんが、

公園のベンチに座って
ワンコとくつろいでいると

ついこの間までは
自動販売機横の空き缶を
拾い集めにくるのは

決まって
オッチャンという
イメージだったのですが、

空き缶集めが
ごく一般の人たちにも
少しづつ
浸透してきているようです。

最近
ビックリしたのは、

30代ぐらいの女性が一人で
自転車でやってきて
自動販売機横の
ゴミ箱の中の空き缶を拾い集め

缶の中の水分を
慣れた手つきで捨てながら、
足で踏んで凹ませて
自転車の前かごの袋に入れて
その場を立ち去りました。

昨日は、
またまた公園でお茶を飲みつつ
ワンコと休憩していると

帽子を深く被って
背中にリュックを背負い
手にはキャリーケースを持った

黒ずくめの
わりとオシャレな出立ちの
スタイルのいい男性が、

やはり
空き缶を複数同時持ちしながら
中の水分を抜き、
足で踏んで凹ませて

その缶類を
大きな黒いキャリーケースに詰めて
足早に去っていきました。

一部始終を観察していない限りは
まさか空き缶を
拾い集めているとは

まったく
気づけないような
ごく一般の方たちばかりです。

一見とてもそんな風には
全然見えません。

とくに男性の方は

周囲の人間からは
そうは見えないように
気を配っているかのようにも
映りました。

そのくらい
人の無意識には

「貧しさ」に対しての
強い恥の概念を
抱えているんだろうな…。

…と感じずには
いられませんでした。

これまでも外部から
「得る」「もらう」という行為を繰り返して
上手くいった成功体験の記憶を
持っている為に

いざ困ったときには
とっさに
空き缶収集の知恵くらいしか
思いつかないのかもしれません。

しかし、
現段階の意識では
気がつくことができないだけで、

意識進化していくにつれて
いざという時の方法や智慧は
いくらでもあります。

エネルギー振動数が上がっていくにつれて
自然と内側から
智慧やアイデアが湧いてきて
もたらされます。

二元性の
「愛」と「恐れ」は同じものですが、

「愛」の容量や
エネルギー振動数が低いと

この現実世界で
人並みに生きていくだけでも
結構な困難が伴います。

その者の相対する
「恐れ」のエネルギーは
無意識下に膨大に
眠ったままになっています。

無意識に眠っている
「恐れ」の膨大な容量とは一体
如何ほどのものなのか…?を

肉眼で
確かめることはできないので

目に見えないものも
信じることができる方

私の言っている事を
信じられる者にしか
ヒントにはなりませんが、

それはもう
トンデモナイほどの
毎日大量の「恐れ」のエネルギーを
「愛」のエネルギーに変容させてきました。

しかし、

「恐れ」のエネルギーを
「愛」のエネルギーに変容させる
ただそれだけで

自動的に
「愛」のエネルギーが働くようになり

「私」の意図を叶える
「愛」の現象が

大いなる
ハイヤーセルフを通して
自然に
起こるようになってきます。

わざわざ延々と
「もらう」「得よう」と行為を
やり続けなくても
意識だけで物事が
成り立つようになります。

現段階で物事が
スムーズにいかないのは、

「愛」の容量が少なく
膨大な「恐れ」のエネルギーを
無意識に蓄えたままになっている
可能性が考えられます。

そして二元性の
「愛」と「恐れ」は
別物ではありません。

この二元性の両極
「愛」と「恐れ」を分離するのではなく

統合することによって
「愛」のエネルギー振動数は上昇します。

「恐れ」のエネルギーを手放して
解放し切るまでは、

依然として
分離意識が続きます。

「愛」と「恐れ」
どちらの感情も
同じように感じて
実際に
体験し尽くすまでは、

その間
この分離領域に
留まることになります。

なぜ望まない状況が
「私」の元に引き寄せられていて

その事象によって
不快な感情を味わうことになるのか…。

内側の負の感情をすべて
味わい尽くす為に
完全完璧な秩序で起こっています。

否定している側の極を
否定や嫌悪を感じなくなるまで
何度でも引き寄せます。

不快な感情を感じるのを避けてしまうと
一向に分離はなくなりません。

その望まない事象が起こる以前に

内側から
「恐れ」のエネルギーを手放して
解放してしまえばいいのです。

ハイヤーセルフが
私に行う浄化方法は、

巷に出回っている浄化とは
まるで違います。

最初の頃は慣れるまで
誤解する方も
さぞかし
多いことでしょう…。

ハイヤーセルフの浄化方法が
まるで理解できない為に
不機嫌になる
クライアント様も多いです…笑

条件付きの愛を
明るみにして
本人に気づきをもたらそうと
しているのかもしれません…。

浄化によって
ダイレクトに
負の部分を浮上させて
明るみにします。

何のエネルギーなのか…?
をしっかりと確認しながら
湧き上がらせた後に
解放します。

そのプロセスの過程で
「愛」と「恐れ」は
「愛」に統合されていくので

どちらであっても
喜んで感じられるようになり、

これまで
分離で起こっていた
「恐れ」や「恐怖」「絶望」だった事象は
「愛」や「喜び」「希望」の事象に統合し始め

「私」の元に
引き寄せ始めます。





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