「私」が選んだものが「正解」

記事
学び
こんにちは。
光の翼 ここみんです。

いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪


二元性に分離する
領域では、

それぞれ個によって
感じ方が違います。

どちらが間違っていて
どちらが正しいとか
…はなく、

「単にそう感じる」
…というだけなので、

自分とは
感じ方の違う他者は
大勢存在する

…ということを
知っておくことは
とても大切です。

忙しいorヒマ

忙しい=満足
ヒマ =不満

…と感じる者もいれば、

忙しい=不満
ヒマ =満足

…と感じる者もいます。

孤独or大勢

孤独=楽しい
大勢=苦痛

…と感じる者もいれば、

孤独=苦痛
大勢=楽しい

…と感じる者もいます。

他にもたくさん
あると思いますが、

感じ方が
個によって違うのは、

現在置かれている立場や
これまでの体験や
記憶によって

とっさに自然に
そう感じていて

これらの感じ方によって
現実世界は
創造されていきます。

そのままの感じ方で
創造しながら
事象が
展開していくので

本人にとって
よりしっくりきて
ぴったりマッチした
「私」の世界が
創造されていきます。

「私」の感じた感覚を
信じてあげることが
1番の愛です。

「どちらを選ぼう…??」

…と二者択一で
迷うことがあっても、

「私」が選択したい方が
「正解」です。

誰にも
その意味や理由を
理解してもらえなくても

「私」自身が
そうしようと
選んだものが正解。

絶対的に
「正しい」答えは
存在しません。

正解かどうかを
誰かに
確認する必要もありません。

「私」の力で決めて
導き出したその選択に
「私」自身で責任を持つ。

だから、
選択したその結果が
どうなったとしても
誰かの責任にできないし、

「私」自身で
責任を負うけれど、
その分
他者に迷惑を掛けることも
全くない。

これまでの選択に
後悔は全くない。

思うようにならなくて
歯がゆくなるような
経験もない。

いくら全世界の
圧倒的多数の他者が、

もう一方の極を
推しているとしても

「私」は
選択したい一方を
選択します。

「正解」かどうかの答えは
「私」の中にしか
ありません。

AそれともB
どちらを選択しよう…?

…というとき、

たとえば
バシャールが
Aだと言っていても

「私」は、
「Bを選びたい」
…と感じるのなら、
Bを選択します。

「いや、バシャールがAだと言うのならAだろ。」
…で、
Aを選択しても
全然アリでしょう。

べつに
間違いではありません。

そして
私の単なる一意見に
従わなければいけないような
ルールも規則も
ないので、

完全スルーでいい。

大勢の他者が
選んでいるから

「だったら、私もそうしよう…。」も
全然アリです。

何を選択するのかで
枝分かれしていくかのように
皆がバラバラになっても
それも
それでアリ。

必ず、
皆が同じものを
選ばなければいけない…。

…というルールは
存在していません。

とにかく
いつ死んでも
後悔のないように…笑

一瞬一瞬を
悔いが
残らないように
選択する(大げさ…。)

私の場合は、
「皆がそっちなら…。じゃ私も…。」

…という選択肢が
ないだけで。

つねに
正しいも間違いもない。
善も悪もない。

…という
ニュートラルな視点で

どちらが
目的に沿った
実現のイメージが湧いたか…??
…で、

ピン…!ときた方を
選択します。

散々悩んで
答えを出したとしても

途中で
枝分かれたとしても

目的地が
変わらなければ、

どうせ
同じ方向に
行き着いて
交わるのだと思います。

最終的に
道が完全に
定まってしまえば、

色々と悩んだり
考えることもない。

「今、することに全集中。」
できていればそれでいい。

必要以上に
「他者」に
意識を向けてしまうと
エネルギーが
流れてしまいます。

仕事以外は、
完全に
「私」に集中します。

「私」が「したい」
…と、
感じることを

できる範囲で
「…したい」と感じたときにする。

「○○を食べたい…。」のなら、
○○を食べる。

「寝たい…。」ならば、
寝る。

内側が感じるままに
すべて
従っていると

内側が
何を求めているかが
わかってくるので、

「私」が求めていることを
「私」が与えてあげる。
「私」が叶えてあげる。

そうすると
他者を必要としなくなり、
「私」の力で
答えを
導き出すようになり、

「私」だけで
事足りるようになっていきます。

「私」が「私」の
最大の理解者です。















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