【ショートショート】「搾取」

記事
小説
新宿駅の東口から歌舞伎町方面に15分程歩くと、ドトールコーヒーがある。その2階には喫煙席があり、奥には1つの丸いテーブルがある。用意されている椅子は2つ。自ずとそのテーブル席に座れるのは2人だけだ。

その椅子の一つに、ダッチワイフが座っている。「座っている」といっても、ダッチワイフは常に直立している状態なので、「もたれ掛かっている」というべきだろう。

ダッチワイフは虚空を見つめながら、口を開いている。その中には万札が詰め込まれている。

喫煙席にいる人々は、ダッチワイフの存在を気にしながらも、横目でチラチラと見ながら鼻の下を伸ばすばかりで、近付いたりはしなかった。しかし新たに入って来た者は、迷うことなくダッチワイフの元へ歩いて行った。

その者は猿だった。全身にブランド品を模した安物を身に着けており、それらは体中から生えている毛のせいでさらに安っぽく見える。特に頭に乗せているキャップは、頭頂部が凹んでしまっている。

「写真よりお綺麗ですね。」

コーヒーの乗ったトレーをテーブルに起きながら、猿は益々鼻の下を伸ばしながら言った。するとダッチワイフは身動ぎ一つしないまま、言下に猿を褒め始めた。

「あなたの方がよっぽど素敵。今見た瞬間、韓流スターが入って来たのかと思っちゃったくらい。しかも愛嬌があるから、韓流スター並みの美貌を持ちながら、接しやすさも兼ね備えている。正直、あなたが私の気に入らない相手だったら、100人以上の男性に対してそうしたように、挨拶もせずに追い返そうと思っていたの。だけどあなたは違う。私が今「支援」している選ばれし8人の一員にするのは勿論のこと、もしあなたが私の愛と「支援」を一心に受けたいと望むのであれば、他の8人とはお別れしてもいいわ。いや、きっと彼らがあなたの姿を一目見れば、嫉妬する間もなく比較されるのを恐れて逃げ出すだろうから、あなたが望むかどうかに関わらず、あなたは唯一の私の「彼氏」になるでしょう。」

手放しの称賛に、猿の鼻の下はさらに伸びた。鼻の下の溝には興奮による汗が溜まり、もし蟻の群れが発見すれば、大人気のウォータースライダーになること請け合いだった。

そのような猿の様子に、詐欺師は内心でほくそ笑んだ。「ママ活」という名目で男性を騙す作戦が、成功に近付いているからだ。

「ちなみに、私が「支援」している今の「彼氏」たちの分を全てあなたに「支援」するとしたら、金額はいくらになると思う……?」

「いくらになるんですか?」

猿が鼻息を荒くしながら尋ねると、ダッチワイフが耳を貸すように合図した。猿が椅子ごとダッチワイフの真横に移動して、万札の詰まった口に耳を近付ける。

「月々100万円」

「ええっ!?」

猿は嬌声に似た驚きの声を上げた。その瞬間、背後の空間に切れ目が入り、広がって、猿を取り込んだ。

それは巨大なチョウチンアンコウの口だった。チョウチンアンコウは背後の壁にカメレオンのように擬態していたので、誰も気付かなかったのだ。

チョウチンアンコウは天井に向かって顎を突き出し、猿を呑み込んだ。そして真っ赤で分厚い唇を湾曲させ、歯のない口を開けて大笑いした。その様子に、喫煙席にいた他の客はギョッとしたが、ダッチワイフだけは振り返らず、虚空を見つめ続けている。

一方、猿は藻掻いたが、チョウチンアンコウの内側が広い筒になっている上に粘液で濡れている壁が滑るので、あっけなく底に落下した。

打ち付けた腰を撫でながら立ち上がると、猿は訳の分からないまま、外に向かって助けを呼んだ。しかしその声は、チョウチンアンコウの笑い声に掻き消された。

辺りには靄がかかっており、表の光がぼやけている。

「どういう意味ですか?」尚も猿は叫び続ける。「いや、意味は分からないままでいいから、助けてください!」

「もう遅いわよ。」

声が聞こえた。それはダッチワイフのものだった。

「お前、この化け物とグルだったんだな?騙しやがって!」

「それは違う。」

ダッチワイフは言った。いや、正確にはその台詞はチョウチンアンコウのものだった。口に万札を詰めたダッチワイフは、チョウチンアンコウが獲物をおびき寄せるための誘引突起だったのだ。

チョウチンアンコウは簡潔にこの説明をした。しかし猿には理解できず、「うるさいっ、とにかく助けてくれ」と言うばかりなので、

「そうやって頭を働かせないから騙されるのよ。」

と溜息交じりの捨て台詞を吐き、沈黙した。あとは体内を満たす靄――霧状になった消化液――が猿を溶かすのを待つだけだ。

チョウチンアンコウは直ぐに新たな獲物を探し始めた。斜めがけのハンドバッグからスマホを取り出すと、Twitterを開いて、適当に収集したセクシーな格好の女性の画像を添付し、次の文章を打った。

「お金はあるけど夜が寂しいので、m活募集してます♡
お小遣いは5~20くらいしか出せないですけど、その分○○で頑張ります♪

【応募条件】
・18歳以上の男性
・いいね&RT&フォロー
・DMで連絡

連絡まってます~

♯ママ活
♯ママ活掲示板
♯ママ活募集
♯ママ活募集中
♯生活保護」

チョウチンアンコウが微笑を残しながら壁に擬態する。

(今週中にもう一人くらいは騙せそうだ。これなら今月のノルマは達成できるだろう。)

しかし、Tweetを投稿しようとした瞬間、景色が揺れて体が天井に叩きつけられた。チョウチンアンコウの顔面に割れた照明のガラスが刺さる。

喫煙席の中で、チョウチンアンコウだけが天地が逆さまになったかのように、天井に張り付いていた。そしてこの事実をチョウチンアンコウ本人が知る前に、その体は照明を破壊しながら「天井に」引き摺られた。

操られる体は右往左往しながら喫煙席から出て、二階の一般席でまた彷徨うと、やがて階段に沿った斜めの天井を進んで一階に下りていった。

この間、チョウチンアンコウはまだ視界が血で滲んでいたものの、体の動きと唇に当たる糸の感触によって、自分の身に起こっていること、またそれを引き起こしている張本人について理解した。

(なるほど。してやられたってわけか……。)

チョウチンアンコウは自身の警戒の甘さを悔やんだが、瞬時に頭を切り替えた。店から出される前に対策を打たなくてはならない。

チョウチンアンコウは、レジの内側にいる店長に向かって叫んだ。

「これを切って!早く!」

店長には金を掴ませる代わりに、店を狩り場にしていることを黙認させている。つまりグルだ。

しかし、店長は好奇の眼差しを向けて来る店員や客に対してぎこちない笑顔を浮かべるだけだった。

その態度はチョウチンアンコウが「あんたも協力者だってバラすから」と脅しても変わらず、チョウチンアンコウは断末魔を残して、出入り口から店外に引き摺り出された。

それでもチョウチンアンコウは諦めなかった。歯のない口で看板に食らいつき、首に青筋を浮かべながら、引き上げられまいと耐える。

「ジタバタするだけ無駄だ。どうせなら楽に捕まりなさい。」

チョウチンアンコウに対してそう言ったのは、体内にいる猿――正確には、猿をルアーにして詐欺師を釣っている、パトランプで雲を赤く染めながら新宿上空を巡回する漁船の縁に座る漁師――だった。

猿が鋭い爪の生えた4本の手の指を内壁に深く食い込ませているので、チョウチンアンコウは逃れられない。逮捕されるのは時間の問題だ。

少しして、チョウチンアンコウは運命を受け入れた。しかし一矢報いようと、口を離すのと同時にこう言った。

「あんたらがやる徴税だって搾取の一種でしょ?」

それに対して、漁師はリールを回しながら淡々と返答をする。

「社会には常に搾取する側と搾取される側が存在する。どうせ搾取するなら、「優しい嘘」で搾取されていないと思わせてあげた方がいい。君たちはそれが下手だから罰せられるんだ。」

チョウチンアンコウと共に、口に万札を詰め込まれたダッチワイフも、逆さまの万歳をしながら釣り上げられた。

※ご覧いただきありがとうございました。
よろしければ、「お気に入りに追加」していただけるとモチベーションが上がります。
またシナリオ形式であれば、作成やご相談まで、何でもご依頼を受け付けておりますので、機会があれば以下からよろしくお願いいたします。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す