この言葉を聞いて、皆さんはどう思っただろうか?
俺はこの言葉を、どこかの本で読んだのはおぼえているのだが、タイトルが思いだせなかった。
しかしこれを知った時の衝撃は相当なモノで、今後の俺の人生を変えてしまった一文になった。
なぜ刺さったのか? それは、短所を補うのは「自己満足」であり、南野社会貢献にもなっていない、と切り捨てたからだ。
俺がこの文章を読んで浮かんだ直感は、中学校の頃の「国語2と数学5」だった。
5段階評価で、理数大好きだった俺は理科4,数学5で、国語が唯一の2になった。
文章が苦手で、漢文古文も苦手で、百人一首の暗記なんて苦痛以外の何物でもなかった。
でも当時は「他の3になるように、頑張って補おう!」と他の科目以上に頑張って3にした。
「ああ! これで平均的になった! よかった」と。
俺は社会に洗脳されていたのだと思う。それに気づけなかった自分が悔しい。
俺がもしその子の親で、あゆみ(通信簿)を見たならこう答える。
「数学ができるのなら、国語の勉強よりも数学を優先して、クラス1位、いや学年1位になりなさい」
もし読者の方が、子供の立場だったらこのセリフをどう解釈するだろうか?
「長所を伸ばすことは社会貢献、短所を補うことは自己満足。って言葉が好きなんだ。だから、苦手なことを無理に補う必要はない。自分の長所を尖らせるために、楽しく勉強しなさい」
ここで言いたいことは、苦手なことを全部避けて一切やるな、ではない。
苦手なモノを補う時間や労力があるなら、得意な方に使ってあげなさい、という感じだ。
結果国語が2のままでも、得意だった数学5から6……にはならないが、中間期末テストでクラス1位になれたのなら、そちらの方が良いと俺は思っている。
体育でも同じだ。苦手な英語や国語を勉強するくらいなら、保健体育、外に出て体を鍛えて県大会まで行けばよい。
短所補うことは、ただの自己満足でしかない。
読者の皆、というか日本の教育の特性上、出る杭は打たれる、
そして安定して社会の歯車になれるように教育するという方針がある。
だから、平均よりも弱点を持っていること、尖って特出していることを世の中や社会、学校が嫌っている、忌避している傾向がある。
最近ではギフテッドという名前だったり、HSP、ADHD等の精神的に尖っている子供たちを名前でグループ化して特別扱いしている学校もある。
それよりも何十年も前は、ただただ「変な学生」「出来損ない」「問題児」として片付けられてきた。
彼らは、ただ、好きなことをやりたいだけだったのに、苦手なことを補うことに必死になるように向けられ、尖っていた角をへし折られた。
俺は言いたい。
「嫌なことは無理に補わなくてよい。尖った好きなことを全力で夢中で伸ばしてみよ!」と。
自分が弱点や苦手なことでやるべきは、「接続部」を作って「疎通テスト」はしておくことである。
ここで一つたとえ話をする。何とかレンジャーがいて、デカい怪獣のためにロボットを出動させたとする。
長所を補うことは、リーダーのレッドにとって「怪獣を倒すための最善策をみんなから引き出しして動かす事」だと思う。
そして、敵を分析して最善行動を導くならブルー。
操縦して足場でこけないように歩くのは両足を操作するレッド。
お色気担当で、健気な視聴する子供たちをどきどきさせるのがピンクである。
え、グリーン? そんなのいたっけ。
ともかく、レッドは5つのカラーの司令塔であり、それぞれの役割を全部補う必要はない。
ただレッドが覚えるべきは、別の色担当の「接続部」作成と「疎通テスト」である。
どういうことか?
弱点=知らないことに対して全く何もしない、勉強しない場合は、レッドは敵分析を一切せず、足で歩くことを一度もやらずイエローに一任している感じだ。
接続部と作って、疎通テストまでしているレッドは、ブルーから分析するための方法を一巡引継ぎを受けて、時間をかければ敵分析までを自力でできる。
そして、イエローから接続部の説明で裏表を聞いていて、一度一人で歩くことができる所まで教わっている。
この違いは何か?
ロボットを動かすという目的に対して、一巡一人でできるための下地まで勉強、体験しているということだ。
接続部と疎通テストまで知らない「苦労したくない、逃げ出す勢」のレッドには、いざコロナによるワンオペが起きたとして、怪獣に手も足も出ないのである。いや文字通り、手も足も接続できず、レッド1号のみで立ち往生する。
実際に自分がopenAIの漫画動画を出している時には、この接続部と疎通テストを意識して「弱点を補う」ことをしている。
絵を描いてカラーを塗って、本気のイラストを描いて納品するまでの一巡、
マイクで実際に録音してノイズ除去してファイル分割して納品するまでの一巡、それを自分で独学でやった。
得意分野の動画編集やサムネは、大学の頃から自分で積み上げて来たし、電子書籍の作成は2022年9月から自力でKindle投稿するようになった。
わかるだろうか? 企画、プロット、イラスト、声、動画編集、書籍化、投稿管理を一巡、プロではなく素人でも自力でやれるようにした。
このメリットはとてもデカい。
何故なら、他に依頼する時に相場もスケジュールもある程度把握できて、困ったらお金でココナラなどで埋めることができるからだ。
そして、いざという時は全部自力で何とかできる。(質はともかく)
一切絵も声も、動画編集もせずに丸投げするだけのクライアントがいたとして、同額で受けるならこの人とすきづきん、どちらを受けたいと思うだろうか?
弱点を補うということは、これら各種サービス・技術に対してプロレベルの能力を身に着ける事であり、それは本人にとって苦痛だ。
でも一巡やってみて感覚を知るだけならそれほど苦労はしない。
各業態、ビジネスにおける一通りを一度でも知っている人は、ある程度スケジュールを組みやすいし、何か問題があっても自力でリカバリー、修正ができる。
俺は絵はヘタクソだし、声も演者としては素人だし、サムネだって共感性の高いデザイン性のあるものなんて作れない。
でも、自力で一通り作った実績があるから、自分が生きる目的に対して、悔いなく行動できるし「他者に完全依存」しなくても生きていける。
皆さんは、弱点を適切に補っているだろうか?
長所を全力で伸ばしているだろうか?