最後の一葉

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先日、早朝の景色を見て『最後の一葉』の物語を思い出していました。
私の傍らには葬儀を待つ故人がおり、二人きりで過ごした2日目の朝でした。

『最後の一葉』は、最後の葉が落ちると自分も旅立つと思い込んでいる病と闘う女性を思い、彼女と同じアパートに住む画家が、窓から見えるレンガの壁に葉が1枚だけ付いた樹木の絵を描く。その画家は、いつか傑作を描きたいと願っていた。絵を描いたときは天候が悪く、画家は肺炎を患い亡くなってしまう。女性は奇跡的に回復する。画家にとって、この樹木の絵が傑作となった。そんなストーリーだったと記憶しています。

今日では、スマートフォンで撮影した写真を簡単に加工し画像を編集することができ、引き伸ばした写真を窓の外に貼る手法もあるのだろうと思いながら、果たして『最後の一葉』の絵画や写真は必要なのかと考えていました。そもそも『最後の一葉』は美談なのかと疑問にも感じ始めました。

隣で眠る彼は5年程前に体調を崩し、病院へかかりましたが原因は判明しませんでした。このため3年程、調子が悪いまま暮らしていました。昨年の春になり、知人の勧めで診ていただいた医師から摘出不可能な末期がんだと宣告され、それでも病と闘い精一杯に生き抜いたと思います。特に、この半年は入院生活が続き、鎮痛剤の副作用により意識が混濁することが多く、若いころのことを思い出して私に電話をかけてくることがありました。

最後の日、彼は私が手をとると握り返し、私の手をつかんだまま手を上下に振りました。その意味は私には分かりません。痛みがあるのか目を開けることもできずにおりました。私は「また来るからな」と彼に声をかけました。

辛そうな彼をみつめ、私は「安心しろ。じきに俺も行くからな」と声を掛けたかったのが本音です。

こんな私です。私にとっての最後の葉が落ちたとしても、物語『最後の一葉』の素晴らしさを理解できないだろうと思います。

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