象たちの悲しい話

記事
法律・税務・士業全般
こんにちは、司法書士・ペット相続士の金城です。

今回のブログでは、第二次世界大戦中に起こった、動物たちの悲しい話をしたいと思います。

日本の敗戦が濃くなった1943年のことです。
空襲の恐れがあることから、東京都は上野動物園に「1カ月以内に猛獣を処分しろ」との命令を出します。
空襲による爆弾が動物園に落ちたら、檻が破壊されて、猛獣たちが街へ出る危険があったためです。

東京都は、市民に不安を与えてはいけないとの理由で、音の出る銃殺を禁止しました。
そのため、上野動物園の生きものたちは、毒・槍・包丁・ロープ・ハンマーによって次々に殺されていきました。

当時、上野動物園には、ジョン、トンキー、ワンリーという3頭の象がいました。

象は非常に知能が高い動物で、餌に毒物を混ぜて毒殺しようとしても、毒を感知して餌を食べようとしません。
また、注射で毒殺しようとしても、象の皮膚は大変皮が厚くて、注射針は皮膚を通りません。そこで、仕方なく、餌や水を一切与えず、餓死させる方法をとったそうです。

3頭の象は日に日に痩せ細って行き、ジョンがまず餓死します。

残った2頭の象は、見回りに行く飼育員の姿を見ると、よたよたと立ち上がって、「食べ物をください」と、飼育員の前で必死に芸を始めたといいます。
後ろ足で立ち上がり、前足を折り曲げ、鼻を高く上げて、万歳をするという芸です。
芸をすれば、昔のように、餌がもらえると思ったようです。

しかし、東京都から殺処分命令が出ている以上、上野動物園の飼育員たちは、どうしようもなかったようです。

ついに、ワンリーは十数日目に、トンキーは二十数日目に、2頭とも鉄の檻にもたれながら、やせこけた鼻を高く伸ばして、万歳の芸をしたまま死んだとのことです。
その死に、上野動物園の飼育員たちはみな号泣したといいます。

上野動物園での殺処分を皮切りに、天王寺動物園や京都市動物園などでも同様の悲劇が起こっています。
第二次世界大戦の際に殺された動物の数は200頭以上に上るといわれています。

第二次大戦の際、多くの民間人・軍人が犠牲になりましたが、人間のみならず、多数の動物たちも犠牲になったことを記しておきたいと思います。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す