「介護」をしているあなたへ

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コラム
こんにちは
おばちゃん相談員*おたふくです

10月も半ばになりました
カレンダーの残り少なくなるとちょっぴり寂しく感じる
おたふくです

今日は『介護』は誰が担うのが良いのか
と言うことをお話ししようかな。

最後まで読んで頂いたあなたが、少しでも気持ちが軽くなるように、私の経験をお話ししたいと思いますのでよろしくお願いします

きっと、
「なんで私だけが?」
「兄弟姉妹が他にもいるのに」
「誰も手伝ってくれない」
「家族が非協力的」
「心も体もしんどい」
「いつ終わるんだろう」
そんなことを思いながら毎日頑張っている方も多いのではないでしょうか?

おたふく的結論を先に述べます。
看ることが可能な方が担う

いやいや、当たり前じゃん!おばちゃん!!
何を言ってるんです?って思いますよね

私が祖母の介護と介護士時代に、たくさんの皆さんの介護をしていて感じていたことに
介護って看られる人が必然的に割り振られている?というものがあります

お金もない、子育てや仕事が忙しい、親との確執があって関わりたくない、家の中に介護できるスペースがない、などそれぞれに「介護できない」理由があるんですが・・・結局『看る』ことになるんです

不思議ですよね

スピリチュアルな話ではないのですが、介護は『選ばれた人』が担うのではないのかな?って思う

ご先祖様なのか。。神様なのか。。わからないけど

身内に介護が必要になると、不思議と介護ができる状態になる
もちろん、介護者が一生懸命に環境を整えたってこともあるのだけど

逆に看たくても看る環境が整わない。とか、結局介護出来なかった。という方もいるんです
そんな時「やっぱり選ばれた人しか介護ってできないんだな」感じるのです

もちろん中には「好きで介護してるわけじゃない!出来ればやりたくないよ!」という方もいらっしゃいますよね
それも含めて「選ばれている」のかも知れませんけどね

そう考えると『介護』が担えるってすごい幸運のかなって

もう一つ。おたふく持論に『老いを見せられるのは親ができる最後の躾』というのがある

介護や看護の仕事に就かない限り、人が老いて亡くなる。という状況に携わることってあまりないと思う

一昔前は3世代同居が珍しいことではなかったから、幼い頃から曽祖母がいて、年々弱っていく姿や病気と闘う姿などを身近に感じることがありました

でも、昨今では核家族が多く。気がついたら「介護が必要な親」になって目の前に『介護』が迫っている
心の準備が出来てないのに

しかし、誰にでも必ず老いはくる

人が老いるとはこういうことだ。と教えられるのって『親』しかいないんだって改めて思う

人が老いる過程を見せて、こう言う時はこうする。こんな時はここに助けてもらえる。などその時々に必要なことを一緒に学ばせてくれる。老いに対しての心の準備もできるし
体と人生をかけて教えてくれる、大切なこと

最後の躾。とはそういう意味です

選ばれて『介護』を担っているあなたは幸運です

かと言って、しんどいのも事実
きれいごとではないですからね
ゴールも見えず、正解もわからず
毎日毎日、淡々とこなす介護は、精神的にも身体的にも応えますよね

あなたの頑張りは介護を受けている方が1番解っています
でも心も体も疲弊していては出来ることも出来なくなってしまいます

頑張りと疲弊感は吐き出して良いんです

いつも穏やかに介護するために
あなたは1番健康であってほしい
頑張る『介護』はやめましょうよ

思いを吐き出す場所がなかったら
介護経験20年以上の私でよければ引き受けます。

いつでもご連絡くださいね
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最後まで読んでくださったあなたに
たくさんの福が訪れますように心より願っております


おばちゃん相談員*おたふく


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