怒りや悲しみも、喜びや感謝と同じように自由に体験してよい感情なのです

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今日子どもが癇癪起こして周りの物や人を叩きまくっていた。しばらく見守ってたんだけど、それまで周りの大人たちが静止して「叩くのはダメ」なんて言い続けるもんだから、癇癪が20分近く続いた。
流石に見ていられなくて、落ち着くまでバトンタッチさせてもらって対応してから子どもの気持ちを聞いてみた。
全部吐き出したあと、また泣き出すもんだから何かと思ったら、「○○先生(最初に対応してたパートさん)、叩いてごめんなさい」って泣きながらその先生に抱きつきに行っていた。
その子は癇癪の原因になる出来事だけじゃなくて、叩くことがダメだと分かっていながら、それしか感情の出し方が分からない事に自分自身も苦しんでいた。
「ダメだよ」と制止することが必要な場面は確かにある。特に危険が迫る場面ではそう。
でも、叩くこと以外に方法がない状態を自分自身でも苦しく感じていた想いを傾聴する余地を、こちらも残しておかなければならないということを今日その子が教えてくれた。
もし「ダメなものはダメ」と抑え込んでいたら、その子は「今日の僕はダメだったんだ」という気持ちで帰ることになったはず。ホッとして謝ることもできなかったかもしれない。そういう体験の蓄積はやがて心を蝕んでいくのだろう。
ダメなことはダメと伝えることも大切だけれど、同時に出してはいけない感情というものもない。
『怒りや悲しみも、喜びや感謝と同じように自由に体験してよい感情なのです(前川 2004)』
この言葉の意味が、今日少し分かった気がした。
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