僕がいなくなったら悲しい?

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はじめまして。見に来てくれてありがとうございます。
カウンセリングをココナラでは提供しているので、私の考え方や感じ方を知ってもらうことも大切かと思い、今回ブログを書くことにしました。

さて、私は教育関係の施設で今働いています。そこで出会った男の子のお話です。

愛情不足なんだろうな〜って思ってた小学一年生の男の子、何度言っても施設から勝手に1人で飛び出してしまいました。
「勝手に出てはいけません、ルールです」と言っても当然聞く耳は持たない。
それを見て大人は「気になる子」だなぁといっていました。

でも、ある日私は気づきました。きっと彼は飛び出すことで大人を試していたんだろう、と。
ふと思って、気持ちを伝えてみることにしました。

「〇〇君が1人で外に出て、ヘビに噛まれたりハチに刺されたり、知らない人に声をかけられたり急に具合が悪くなったりしたらどうする?どこにいるか分からないと守ってあげられない。〇〇くんの事が大切だから、怖い思いをさせたくないから1人で外に出ないでねってお願いしたんだ。」
思ってることをストレートに伝えたら、彼は聞いてきたのです。

「僕がいなくなったら悲しい?」って。

即答した。「悲しいからさ、いなくならないでね」って。
それっきり、彼が1人で施設を飛び出すことは無くなった。
自分が大切にされているかを確認したくて試し行動をした彼にとって、「大切だからそばにいてね」というメッセージはきっと受け入れられる言葉だったんだろう。
今の学校や施設って「ルールです」って押し付けて、そこに適応できない子を問題児扱いしたり、叱ったりするけれど、一方で子どもの行為に込められた意味を大人は考えない。
「ルール」ってものは便利だけど、それに頼りすぎると大人は考えることをやめてしまう。なぜなら、「ルールです」といえば、どんな反論が来ても「そういうものだから」という一言で大人の行為が正当化されてしまうから。
人間という生き物が社会的な動物である限り、ルールが大切なのは分かる。でも、大人がルールに頼って考えることを辞めてしまってはいけない。
ルールは子どもが納得して守った時に、はじめて彼らを守るものになる。
子どもが納得しないルールは大人を守るためのものでしかない。
どんな時でも子どもを一番に考えてあげられる教育者になりたいな、って最近思うよ。
ルールの守り方も、ルールを守る意味も、教えるのが教育だよね。

と、そんなことを思いました。
受容的に、共感的に、そんな風に人を見ていたいというのが私の考え方です。もしも気になってくれる方がいらっしゃいましたら、ぜひ私の出品をご覧ください。(笑)
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