「困った経験」を奪うことが支援なのかな?

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僕は介護のケアマネジャーの仕事をしています。
介護職や医療職など「支援者」は「利用者さんが困らないように」常に予後予測をして、「困った状況にならないように先回り」します。

命に関わることも多いので、困らないよう支援することで安全な生活をお手伝いしています。ただ、どんな状況でも同じように「先回り」が必要なのでしょうか?

「転ばないように、床を全てフラットにしましょうね!」
「炊飯やお湯沸かしは危ないので、全部ヘルパーがやりましょう!」
「家でじっとしてるとボケ流ので、デイサービスに行きましょう!」
少し大袈裟な例えですが、こういう声かけはありがちです。

本当にそうなのか・・・????

最近僕は思います。

困った経験や嫌なこと、辛いこと・・・
こういう経験って、全て避けるべきものでしょうか?

困ったことがあるから、自分で困らない工夫をしようとする
嫌なことがあれば良いこともある、だから人生は楽しい
辛いことがあるから、辛い人の気持ちもわかる
そういうものではないでしょうか?

子供が怪我をしないように遊具で遊ばせない
風邪ひかないように常にエアコンで過ごす
保育園でみんな主人公になれるようにしてほしい
危ないこと、嫌なことを避け続けて良いのでしょうか?

高齢者も同じだと思うんです。



全てのリスクを回避する提案をすることのデメリット
支援者側にとって、「良かれ」とリスク回避をすることには注意が必要です

「利用者さんが自分の人生の舵取りをしなくなる」
「他人に人生の舵を握らせることになる」
「嫌なことが起こると、支援者に文句を言うようになる」

自分で考える、自分で決めることをしない習慣ができることで、
「この提案もイヤ、あの提案もイヤ」
何を提案してもイヤイヤ状態になることがあります。
自分で決断しないため、支援者に不満を持つようになります。
こうなると、支援者もお手上げ状態です。



支援者側が「本人が困る状況」を”悪”と思い過ぎない
支援者自身が「仕事」として関わるため、
「困る状況を作らないようにしなければ!!」
と使命感を感じてしまうかもしれません。

「自立」とは単に身体的な自立だけでなく、
「自己決定の自立」もとても重要だと思います。

周りが決定してしまうと、その後「依存」に変わります。
依存関係ができてしまうと、それは自立と真逆。

困る経験って、自分の人生の舵を自分で取るために大切なことだったんだ。最近高齢者支援をしていて、本当に思います。

困る経験を支援者も一緒に「味わう」こと。一緒に悩んで一緒に解決していく。「支援」や「援助」ってそういうものかもしれないな。
高齢者にいつも学ばせて頂いています。


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