護摩を焚いてもらいました

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コラム
私自身と父と母の祖先もふくめての護摩焚きでした。
ものすごく具合が悪く感じてきたり、いろんなことがわきあがってきたり
ぐったり疲れたものの、終わった時には涙も溢れて軽くなりました。
不思議なものですね。
お坊さん方のお祈りは心地よく、すごい集中力だと頭が下がります。

私たちのDNAの中には、はじまりの時からの記憶が入っており
この命をつなげてきてくださった御祖先の方々のおかげで、今こうして自分は生まれ生きています。
お父さんお母さんの出会、おじいちゃんおばあちゃんの出会、
そのひとつひとつがなければ私は存在していません。
あらためてすごいことだなぁって思います。
どんだけの命が今この時までに繋がってきているんだろうと思うと
あまりにも壮大すぎて頭はおいつきません。
その全てが記憶として遺伝子には刻まれているんですね。

命のはじまりって
なんにでもなれる細胞から たくさんの細胞分裂がおこり
わたしは足になりまーす わたしは手になりまーすって
人間の形になっていくそうです。
そもそもが
なんにでもなれるところからの始まり。

いろんな制限のあるこの社会にとっぷりつかりすぎてしまって
なんにでもなれることに違和感感じてしまうようになってしまった。

ひとりひとりが違うのは それぞれやりたいことが思うことが違うからだね。
違わないと違って生まれてきた意味がない。
同じでなければならないような社会で教えこまれちゃったね。
違っていいのに 違うことが怖いことになってしまった。

やりたいなって思うことはやれること。
創造できることは実現できること。
考えも思いも行動も みんな違ってみんないい だね。

すぐできるのか長くかかるのか それはやってみてのお楽しみ。

自分を知る 楽しい世界なんだよ。


なんか
書こうって思ってたことと 違った話になってきてしまって
自分でどうまとめたらいいのかわからなくなった。けど
こうなった。
です。
今日も読んでくださり ありがとうございます💕
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